医師国家試験
2009年11月02日
医学教育の実践において、医師国家試験突破、というのがどのぐらいの位置を示しているのか、は、大学によっても違うのかもしれませんが、「最低限の目標である」ということでありたいな、と、思っています。
つまり、誰もが皆、医師国家試験は突破してもらわなければならないのですが、でも、かといって、医師国家試験の対策勉強だけでは、まだまだ、学習成果として足りない、と思っています。
もし、うちの大学の学生の中で、特に、「成績優秀」と自他ともに認めているような方で、臨床実習でのベッドサイドへの積極的な実習態度を忘れ、国家試験問題集を解くことを優先しているような方がいるとすれば、本当に、残念で、情けないなあって思います。
実在しているのだとすれば。
やはり、「成績優秀な」医学生は、国家試験の問題集なんて、6年生の夏ぐらいからで十分。
それよりも、またとない、実習の経験を積み重ねて行くこと、を、最優先にしてもらいたいなあ。
もちろん、4年生までの間に、あまり医学学習の成果があがらなかった人は、国家試験の対策には、1年以上の期間と努力が必要と思いますけれども。
つまり、誰もが皆、医師国家試験は突破してもらわなければならないのですが、でも、かといって、医師国家試験の対策勉強だけでは、まだまだ、学習成果として足りない、と思っています。
もし、うちの大学の学生の中で、特に、「成績優秀」と自他ともに認めているような方で、臨床実習でのベッドサイドへの積極的な実習態度を忘れ、国家試験問題集を解くことを優先しているような方がいるとすれば、本当に、残念で、情けないなあって思います。
実在しているのだとすれば。
やはり、「成績優秀な」医学生は、国家試験の問題集なんて、6年生の夏ぐらいからで十分。
それよりも、またとない、実習の経験を積み重ねて行くこと、を、最優先にしてもらいたいなあ。
もちろん、4年生までの間に、あまり医学学習の成果があがらなかった人は、国家試験の対策には、1年以上の期間と努力が必要と思いますけれども。
2009年10月21日
医師国家試験突破が、6年間もの、医学教育の最終目標だとは全く思っていませんが、かといって、それを無視したカリキュラムでよい、というのも変ですし、第一、学生たちが気の毒だとは思います。
せっかく、このキャンパスを選んでくれた優秀な学生さんが、この資格試験突破について、大学からの支援がない、というのは。
うちの大学では、6年生の9月から12月まで、卒業試験というカリキュラムになっています。
医師国家試験は、6年生の2月に実施されることになっています。卒業直前なのですね。昔は、卒業後の4月に実施されていたのですが、4月1日から、研修医として活躍できるよう、という、臨床研修必修化の改革の一環で、実施時期が2ヶ月前倒しされたのでした。
6年間の医学学習の総まとめ、ということで、卒業試験が毎週2回ずつぐらい続きます。もちろん、試験をやりっぱなしするのではなくて、解説講義、ということで、フィードバック、形成的な教育効果もねらって講義も行われています。ちょっと、試験期間が長いかも、とは、個人的に思いますが、これぐらいの時間をかけて、しっかりと総復習をしてもらえれば、あまり、医学学習の成果があがらなかった学生さんも、なんとか、2月の医師国家試験をクリアできるところまで持って行けるだろうと考えているからです。
実は、きちんとよく作られた卒業試験であれば、その評価と、国家試験の合否とは奇麗に相関することを見いだしています。だから、卒業試験をきちんと実施したいと思っています。
卒業試験については、ずっと、かかわらせていただいており、去年の卒業生には、こんなことを言ってもらいました。
「卒業試験に出題されていた問題が、医師国家試験にも出ていました。的中ですね」
褒め言葉だったのですが、少し、微妙な感覚も、こちらにはあります。
それだけが目的ではないからね。
まあ、しかし、国家試験のことは無視できませんし、どちらかといえば、卒業試験は、今までのカリキュラムを一生懸命やって来た学生さんには、やや気の毒なことかもしれません。
先日も、ある6年生に声をかけたら、
「先生、もう、試験はいいです(笑)。さっさと国家試験をしてくれ、って感じです。」
だって。もちろん、もう、あきらめてしまったのでないだろうと思います。
というのは、確かに、その学生は、3年生の頃から様子をみていますが、とても優秀な学生で、まじめに医学学習にも取り組んできていたので、医師国家試験には十分に合格する自信がある、ということなのだと思います。
よく、医師国家試験の対策には、どのぐらいの時間をかければよいのか、と、質問を受けることがあるのですが、答えは、「学生によって違うと思います」です。
3ヶ月で十分の学生もいれば、1年でも足りない学生もいると思います。もちろん、どのぐらいの努力を毎日注ぐか、ということもあり、日数だけでは簡単には言い切れないですよね。
みんな、あと、4k月、がんばってください!まあ、勉強に疲れたら、息抜きも大事だよね。
せっかく、このキャンパスを選んでくれた優秀な学生さんが、この資格試験突破について、大学からの支援がない、というのは。
うちの大学では、6年生の9月から12月まで、卒業試験というカリキュラムになっています。
医師国家試験は、6年生の2月に実施されることになっています。卒業直前なのですね。昔は、卒業後の4月に実施されていたのですが、4月1日から、研修医として活躍できるよう、という、臨床研修必修化の改革の一環で、実施時期が2ヶ月前倒しされたのでした。
6年間の医学学習の総まとめ、ということで、卒業試験が毎週2回ずつぐらい続きます。もちろん、試験をやりっぱなしするのではなくて、解説講義、ということで、フィードバック、形成的な教育効果もねらって講義も行われています。ちょっと、試験期間が長いかも、とは、個人的に思いますが、これぐらいの時間をかけて、しっかりと総復習をしてもらえれば、あまり、医学学習の成果があがらなかった学生さんも、なんとか、2月の医師国家試験をクリアできるところまで持って行けるだろうと考えているからです。
実は、きちんとよく作られた卒業試験であれば、その評価と、国家試験の合否とは奇麗に相関することを見いだしています。だから、卒業試験をきちんと実施したいと思っています。
卒業試験については、ずっと、かかわらせていただいており、去年の卒業生には、こんなことを言ってもらいました。
「卒業試験に出題されていた問題が、医師国家試験にも出ていました。的中ですね」
褒め言葉だったのですが、少し、微妙な感覚も、こちらにはあります。
それだけが目的ではないからね。
まあ、しかし、国家試験のことは無視できませんし、どちらかといえば、卒業試験は、今までのカリキュラムを一生懸命やって来た学生さんには、やや気の毒なことかもしれません。
先日も、ある6年生に声をかけたら、
「先生、もう、試験はいいです(笑)。さっさと国家試験をしてくれ、って感じです。」
だって。もちろん、もう、あきらめてしまったのでないだろうと思います。
というのは、確かに、その学生は、3年生の頃から様子をみていますが、とても優秀な学生で、まじめに医学学習にも取り組んできていたので、医師国家試験には十分に合格する自信がある、ということなのだと思います。
よく、医師国家試験の対策には、どのぐらいの時間をかければよいのか、と、質問を受けることがあるのですが、答えは、「学生によって違うと思います」です。
3ヶ月で十分の学生もいれば、1年でも足りない学生もいると思います。もちろん、どのぐらいの努力を毎日注ぐか、ということもあり、日数だけでは簡単には言い切れないですよね。
みんな、あと、4k月、がんばってください!まあ、勉強に疲れたら、息抜きも大事だよね。
2009年10月20日
よく、中学生などで、夏休みあけの9月に学校にきたら、急に頭が金色になっていてびっくり、ということがあります。
今、6年生たちは、延々と、週に2回ずつの卒業試験を受けていますが、今日、試験会場に行ったら、ところどころに、茶色というか、金色の頭があって、びっくり。まさか、中学生のようにグレているのではないと思いますが。
彼らは、今、2月の医師国家試験の対策や、この卒業試験シリーズと格闘する毎日。
なので、息が詰まるような、そんな気分に陥ってしまうのかもしれません。
それに、彼らは、無事に医師国家試験を突破すれば、4月からは、医師ですから、髪の毛が黄色いのはちょっと珍しいかな。少しカラーがあるのはめずらしくないかもしれませんが。
夏は、マッチング病院の見学や面接があったから、髪の毛の色もおとなしくしていたのかもしれませんね。
今、6年生たちは、延々と、週に2回ずつの卒業試験を受けていますが、今日、試験会場に行ったら、ところどころに、茶色というか、金色の頭があって、びっくり。まさか、中学生のようにグレているのではないと思いますが。
彼らは、今、2月の医師国家試験の対策や、この卒業試験シリーズと格闘する毎日。
なので、息が詰まるような、そんな気分に陥ってしまうのかもしれません。
それに、彼らは、無事に医師国家試験を突破すれば、4月からは、医師ですから、髪の毛が黄色いのはちょっと珍しいかな。少しカラーがあるのはめずらしくないかもしれませんが。
夏は、マッチング病院の見学や面接があったから、髪の毛の色もおとなしくしていたのかもしれませんね。
2009年10月17日
昨年の医師国家試験には、計算問題がでていましたし、患者さんの診療において、病態を正確に把握するために、いくつかの計算式は素早く計算ができること、大事と思います。胸部レントゲン写真を見れば、心臓の大きさを評価するわり算を、とかね。
研修医のときは、ポケットに計算式を書いたメモを持ち歩いていました。
それだけでなく、ちょっとした暗算する能力自体、大事だったりします。
バイタルサイン、点滴の量、排尿の量や手術後のチューブからの排液の量などは前回の測定値との差を素早く計算できないといけないし、手術中の出血量も、経時的にも把握していかねばなりません。まあ、足し算と引き算がほとんどかなあ。看護師さん達は、点滴の速度を確認するための早見表が必須アイテムですよね。
たぶん、旅客機のパイロットも頭の中では計算ばかりしているでしょうね。加減算ばかりではなく、結構、わり算が多そうですけどね。パイロット用の計算尺がついた高級腕時計もありますね。たぶん、それをはめているリッチな人には、単なる飾りになってるけど。
卒業試験にも、計算問題、積極的に出題してくださいと、お願いしています。
先日の血液内科では、赤血球恒数の計算問題が出題されていました。貧血患者さんの診療においては、その原因を考えるためにとても重要な基本事項で、3年生のtutorial教育でもしっかり強調しています。
もちろん、6年生にとっても、予想通りの問題だったようで、正答率はかなり高い。計算間違いはほとんどなかったし。わり算なので、結構、面倒だけど。
しかし、それぞれの単位までは難しかったみたい。
研修医のときは、ポケットに計算式を書いたメモを持ち歩いていました。
それだけでなく、ちょっとした暗算する能力自体、大事だったりします。
バイタルサイン、点滴の量、排尿の量や手術後のチューブからの排液の量などは前回の測定値との差を素早く計算できないといけないし、手術中の出血量も、経時的にも把握していかねばなりません。まあ、足し算と引き算がほとんどかなあ。看護師さん達は、点滴の速度を確認するための早見表が必須アイテムですよね。
たぶん、旅客機のパイロットも頭の中では計算ばかりしているでしょうね。加減算ばかりではなく、結構、わり算が多そうですけどね。パイロット用の計算尺がついた高級腕時計もありますね。たぶん、それをはめているリッチな人には、単なる飾りになってるけど。
卒業試験にも、計算問題、積極的に出題してくださいと、お願いしています。
先日の血液内科では、赤血球恒数の計算問題が出題されていました。貧血患者さんの診療においては、その原因を考えるためにとても重要な基本事項で、3年生のtutorial教育でもしっかり強調しています。
もちろん、6年生にとっても、予想通りの問題だったようで、正答率はかなり高い。計算間違いはほとんどなかったし。わり算なので、結構、面倒だけど。
しかし、それぞれの単位までは難しかったみたい。
2009年09月27日
2009年09月18日
ある有名研修病院の研修担当の先生と一緒になったとき、言ってくださった言葉です。
「いろいろな大学からの見学の医学生をみることが多いのですが、おたくの大学の学生さんは、よく勉強していますね。しかも、単なる国家試験の過去問のようなことだけではなくて、実際の臨床の内容などを聞いても、各自が実習でいろいろ経験して、しかも、そのことをきちんと知識としても確認する作業もできているようで、応用も利くし、本当によい学生さんたちですね。でも、意外と、マッチングでは選んでくれないようですが。」
こんなことを言われると、木に登ってしまいそうですが、もちろん、初対面でのリップサービスもありますでしょうし、また、このような病院を見学に行くような学生は、かなり優秀な学生かとも思いますので、額面通りに受け取っていてはだめかと思います。でも、具体的なお名前も聞きましたので、クラスでトップレベルの学生ばかり、ということでもなかった(その学生さん、ごめん)。
よりよい教育成果をもとめてがんばってきましたので、全く関係のない方から、思いも寄らぬお褒めのことば、うれしく思います。でも、学会などで、初対面の先生に呼び止められて、このようなことを言っていただくのは初めてではありません。
それだけ、うちの学生たち、みんな、がんばってきた、ということです。
もうひとつ、驚いたのが、各地のいろんな有名病院を見学しておきながら、結局、近くの病院や大学病院での研修を選んでいる学生が多いということです。そんなに恐れずに、受験したらと思ったら、ある学生がこんなことを言ってくれました。
「先生、結局、その病院は、ある大学の出身者を優遇しているんです。その大学の出身者なら、ほぼ全員が合格するみたいで」
なんと、そんな病院もあるのか。ふーん。
また、有名病院を見学したのに、この大学を選んだ学生に、どうして?と、聞いてみました。すると、
「いや、先生、確かに、有名病院は凄いと思いました。でも、自分が実習を受けた病院と比べても、別に、そんなに大きな違いはないということもわかったからです。なにか、特別なしかけがあって、魔法にかけられたように、いい研修医になっていく、というようなものもない、結局、自分でしっかり研修するしかない、ということがわかったからです。だから、ならば、雰囲気もよくわかっていて、知っている先生たちばかりの病院を選ぶことにしたのです。」
と、言ってくれました。
うれしいね。この学生は、県外出身で、地元の県にある、有名研修病院もみてきたそうなのですが、「結局、研修医と言っても、なにもさせてもらえないみたいで、それなら、うちの医学生たちのほうが、いろいろ経験しているな、って思ったぐらいです。」などとも言っていました。
いろんな病院を見学して、自分なりに、いろいろ感じ取ってみるのがいいでしょうね。うわさ話やインターネットの情報を鵜呑みにするのではなくて。
「いろいろな大学からの見学の医学生をみることが多いのですが、おたくの大学の学生さんは、よく勉強していますね。しかも、単なる国家試験の過去問のようなことだけではなくて、実際の臨床の内容などを聞いても、各自が実習でいろいろ経験して、しかも、そのことをきちんと知識としても確認する作業もできているようで、応用も利くし、本当によい学生さんたちですね。でも、意外と、マッチングでは選んでくれないようですが。」
こんなことを言われると、木に登ってしまいそうですが、もちろん、初対面でのリップサービスもありますでしょうし、また、このような病院を見学に行くような学生は、かなり優秀な学生かとも思いますので、額面通りに受け取っていてはだめかと思います。でも、具体的なお名前も聞きましたので、クラスでトップレベルの学生ばかり、ということでもなかった(その学生さん、ごめん)。
よりよい教育成果をもとめてがんばってきましたので、全く関係のない方から、思いも寄らぬお褒めのことば、うれしく思います。でも、学会などで、初対面の先生に呼び止められて、このようなことを言っていただくのは初めてではありません。
それだけ、うちの学生たち、みんな、がんばってきた、ということです。
もうひとつ、驚いたのが、各地のいろんな有名病院を見学しておきながら、結局、近くの病院や大学病院での研修を選んでいる学生が多いということです。そんなに恐れずに、受験したらと思ったら、ある学生がこんなことを言ってくれました。
「先生、結局、その病院は、ある大学の出身者を優遇しているんです。その大学の出身者なら、ほぼ全員が合格するみたいで」
なんと、そんな病院もあるのか。ふーん。
また、有名病院を見学したのに、この大学を選んだ学生に、どうして?と、聞いてみました。すると、
「いや、先生、確かに、有名病院は凄いと思いました。でも、自分が実習を受けた病院と比べても、別に、そんなに大きな違いはないということもわかったからです。なにか、特別なしかけがあって、魔法にかけられたように、いい研修医になっていく、というようなものもない、結局、自分でしっかり研修するしかない、ということがわかったからです。だから、ならば、雰囲気もよくわかっていて、知っている先生たちばかりの病院を選ぶことにしたのです。」
と、言ってくれました。
うれしいね。この学生は、県外出身で、地元の県にある、有名研修病院もみてきたそうなのですが、「結局、研修医と言っても、なにもさせてもらえないみたいで、それなら、うちの医学生たちのほうが、いろいろ経験しているな、って思ったぐらいです。」などとも言っていました。
いろんな病院を見学して、自分なりに、いろいろ感じ取ってみるのがいいでしょうね。うわさ話やインターネットの情報を鵜呑みにするのではなくて。
2009年09月11日
新司法試験の合格率が、もともと国が想定していた7割強という数字とかなりかけ離れていることがニュースになっていました。それでも、昔の司法試験よりはかなり合格者数は増えましたけれど。
医師国家試験と司法試験は、よく比較されています。合格率は、医師国家試験は90%前後、毎年8000人近くが合格していますが、今年、新司法試験の合格者は、30%程度、2000人だそうです。
見事、合格となった方はとてもうれしいでしょうし、残念な結果だった方は本当につらいこととお察しします。
私が気になっているのは、法科大学院を卒業しながら、不合格だった方々のその後の人生です。記事によれば、企業への就職も容易ではないようなことが書かれていて、その最大の理由に「年齢」があげられています。
さらに、「だから、法科大学院の入学定員を減らすべき」という声もあるようです。
アメリカでは、「Rolling stone gathers no moss」の意味を肯定的に解釈して、多彩な経歴の方が尊ばれることも多いそうですが、この国はなかなか。このことわざができた英国では、本来の意味は、日本と同じだそうですが。
制度がよいものに変わるのは大歓迎なのですが、それに人生が左右されてしまう方がいるのは、気の毒だなあって思います。これも「自己責任」なのでしょうか?
開かれた裁判、という意味では、裁判員制度、いまのところ、制度導入初期ということもあり、その慎重で丁寧な対応から、スムーズに行っているように思います。でも、この制度は刑事裁判だけ、しかも、第一審だけですから、司法制度の改革としては範囲が小さいです。
司法制度改革の中心が、司法試験の改革だったのですが。
「医師不足」を受けて、医学部医学科の定員はどんどん増やされていますが、今のところ、医師国家試験の難易度が変化する、というような情報はなく、この新司法試験のような状況になるとは思えませんが、医学部を卒業したのに、医師免許がない、という方も、この司法試験不合格者と同じようなことになるのだとしたら、気の毒と思います。
(産經新聞から 一部 略)
「就職できない!」 法科大学院修了者の新司法試験の合格率低迷
法科大学院を出れば「7、8割が合格」と見込まれていた新司法試験の合格率が、3割強と低迷し、大学院修了者の無職化が問題となっている。法科大学院が乱立し、受験者が増え、高い合格率を信じて入学した学生がほうり出された形だ。“司法浪人”の解消や社会人の活用が期待された法科大学院導入だったが、就職難は相変わらずで、関係者は「統廃合を進めて定員を絞るべきだ」と訴えている。
今年の新司法試験は6261人が受験。2065人が合格し、合格率は過去3回で最低の32.98%だった。当初、政府の審議会が出した法科大学院修了者の合格率の目安「7、8割」とはかけ離れた結果だ。
今年は受験をあきらめ、一般企業への就職を目指したが「既卒で年齢も高く、どの企業も面接すらしてもらえない」と、これまでの司法試験浪人と同様の壁に直面している。現在は定職もなく、親の仕送りで生活しているという。
司法試験受験からの転向組に就職をあっせんする会社の社長によると、昨秋から約300人が相談に来たが40人しか就職できなかった。上原さんは「司法試験受験者は社会人経験の少なさ、年齢の高さから企業に敬遠される傾向があります」と話す。
医師国家試験と司法試験は、よく比較されています。合格率は、医師国家試験は90%前後、毎年8000人近くが合格していますが、今年、新司法試験の合格者は、30%程度、2000人だそうです。
見事、合格となった方はとてもうれしいでしょうし、残念な結果だった方は本当につらいこととお察しします。
私が気になっているのは、法科大学院を卒業しながら、不合格だった方々のその後の人生です。記事によれば、企業への就職も容易ではないようなことが書かれていて、その最大の理由に「年齢」があげられています。
さらに、「だから、法科大学院の入学定員を減らすべき」という声もあるようです。
アメリカでは、「Rolling stone gathers no moss」の意味を肯定的に解釈して、多彩な経歴の方が尊ばれることも多いそうですが、この国はなかなか。このことわざができた英国では、本来の意味は、日本と同じだそうですが。
制度がよいものに変わるのは大歓迎なのですが、それに人生が左右されてしまう方がいるのは、気の毒だなあって思います。これも「自己責任」なのでしょうか?
開かれた裁判、という意味では、裁判員制度、いまのところ、制度導入初期ということもあり、その慎重で丁寧な対応から、スムーズに行っているように思います。でも、この制度は刑事裁判だけ、しかも、第一審だけですから、司法制度の改革としては範囲が小さいです。
司法制度改革の中心が、司法試験の改革だったのですが。
「医師不足」を受けて、医学部医学科の定員はどんどん増やされていますが、今のところ、医師国家試験の難易度が変化する、というような情報はなく、この新司法試験のような状況になるとは思えませんが、医学部を卒業したのに、医師免許がない、という方も、この司法試験不合格者と同じようなことになるのだとしたら、気の毒と思います。
(産經新聞から 一部 略)
「就職できない!」 法科大学院修了者の新司法試験の合格率低迷
法科大学院を出れば「7、8割が合格」と見込まれていた新司法試験の合格率が、3割強と低迷し、大学院修了者の無職化が問題となっている。法科大学院が乱立し、受験者が増え、高い合格率を信じて入学した学生がほうり出された形だ。“司法浪人”の解消や社会人の活用が期待された法科大学院導入だったが、就職難は相変わらずで、関係者は「統廃合を進めて定員を絞るべきだ」と訴えている。
今年の新司法試験は6261人が受験。2065人が合格し、合格率は過去3回で最低の32.98%だった。当初、政府の審議会が出した法科大学院修了者の合格率の目安「7、8割」とはかけ離れた結果だ。
今年は受験をあきらめ、一般企業への就職を目指したが「既卒で年齢も高く、どの企業も面接すらしてもらえない」と、これまでの司法試験浪人と同様の壁に直面している。現在は定職もなく、親の仕送りで生活しているという。
司法試験受験からの転向組に就職をあっせんする会社の社長によると、昨秋から約300人が相談に来たが40人しか就職できなかった。上原さんは「司法試験受験者は社会人経験の少なさ、年齢の高さから企業に敬遠される傾向があります」と話す。
2009年09月07日
うちの大学では、6年生の卒業試験は、9月から12月まで続きます。
もちろん、期間が長いのですが、試験そのものは、週に2回程度です。短期間に、試験のスケジュールの詰め込みをして、学生たちを追い込むようではおかしい、ということもありますし、ちょうど、2月にある医師国家試験の準備のための大事な時期でもありますから、その支援になれば、という、親心?でもあります。
勉強のペース作りになれば、ということですね。
夏休みあけの9月1日に、100問強の試験を行いました。まず、手始め、という感じですし、夏休み気分を吹き飛ばし、しっかり目を覚ませよ、という、大学からの強いメッセージにもなっています。
100名を超える学生たちのテストの答案をみせてもらいましたが、みんな、がんばって解答していました。4−5年生のころは、あまり、熱心に学習に取り組んでなかったのではないかと思っていた学生が、見違えるような答案を出していたりすると、凄くうれしい。(まあ、もっと早くに医学学習に取り組んでくれれば、凄い医学生に成長してくれたかも、って思うと残念だが。もし、医学の勉強が、医師国家試験突破のためだけにするものだ、と、思っているのだったら、寂しいなあ。)
でも、中には、あれ、っと、思わされる成績の方もいて、その学生の顔を思い出しながら、おや、まだまだ、試験対策勉強に取り組んでなかったのかなと、思ったり。
来春、全員が、医師国家試験を無事に突破することを目標に、がんばっていきましょう。
(もちろん、がんばるのは、学生さんたちの方で、私がどんなにがんばったってダメなんですが。笑)
もちろん、期間が長いのですが、試験そのものは、週に2回程度です。短期間に、試験のスケジュールの詰め込みをして、学生たちを追い込むようではおかしい、ということもありますし、ちょうど、2月にある医師国家試験の準備のための大事な時期でもありますから、その支援になれば、という、親心?でもあります。
勉強のペース作りになれば、ということですね。
夏休みあけの9月1日に、100問強の試験を行いました。まず、手始め、という感じですし、夏休み気分を吹き飛ばし、しっかり目を覚ませよ、という、大学からの強いメッセージにもなっています。
100名を超える学生たちのテストの答案をみせてもらいましたが、みんな、がんばって解答していました。4−5年生のころは、あまり、熱心に学習に取り組んでなかったのではないかと思っていた学生が、見違えるような答案を出していたりすると、凄くうれしい。(まあ、もっと早くに医学学習に取り組んでくれれば、凄い医学生に成長してくれたかも、って思うと残念だが。もし、医学の勉強が、医師国家試験突破のためだけにするものだ、と、思っているのだったら、寂しいなあ。)
でも、中には、あれ、っと、思わされる成績の方もいて、その学生の顔を思い出しながら、おや、まだまだ、試験対策勉強に取り組んでなかったのかなと、思ったり。
来春、全員が、医師国家試験を無事に突破することを目標に、がんばっていきましょう。
(もちろん、がんばるのは、学生さんたちの方で、私がどんなにがんばったってダメなんですが。笑)
2009年08月14日
2009年08月07日
よく、勘違いをしている学生がいるので、何度も強調しているのですが、
「医師国家試験に合格しただけでは、医師ではない」
のです。
くりかえしますが、医師国家試験に合格しただけでは、医師免許はもらえないのです。法律の規定をみてみましょう。
医師法 第2条【医師の免許】
医師になろうとする者は、医師国家試験に合格し、厚生大臣の免許を受けなければならない。
第6条【免許の賦与、医師免許証、医師の届出義務】
(1)免許は、医籍に登録することによつて、これをなす。
(2)厚生大臣は、免許を与えたときは、医師免許証を交付する。
(3)医師は、省令で定める2年ごとの年の12月31日現在における氏名、住所(医業に従事する者については、更にその場所)その他省令で定める事項を、当該年の翌年1月15日までに、その住所地の都道府県知事を経由して厚生大臣に届け出なければならない。
これは、「医師国家試験に合格した人」と「医師免許を持つ人」が同じではないことが規定されているわけです。
医師になりたい人は、まず、医師国家試験に合格しなければなりませんが、合格すれば、そのまま、医師免許がもらえるのではありません。
では、どういう人が医師免許がもらえないのか、規定をみてみましょう。
第4条【相対的欠格事由】
左の各号の1に該当する者には、免許を与えないことがある。
1 精神病者又は麻薬、大麻若しくはあへんの中毒者
2 罰金以上の刑に処せられた者
3 前号に該当する者を除く外、医師に関し犯罪又は不正の行為のあつた者
相対的欠格事由というのは、「与えないことがある」ということで、与えるかどうか、厚生労働大臣
(つまり、厚生労働省ね)が、個々の事情を応じて判定する、ということです。これを裁量と呼びますね。
学生たちには、このように説明しています。
精神病については、また、別の考え方があると思います。不当な差別があってはいけません。
でも、麻薬や大麻に関して法律違反があるともらえないことがあるかもしれないこと、特に、海外旅行やインターネットなどで、遊び半分、興味半分であっても、絶対に、このようなモノに近づいてはいけないと。(ただし、「中毒者」という規定が問題になるかもしれません。)
罰金刑:道路交通法違反の赤切符すなわち略式起訴の罰金の命令も、略式起訴というのは、起訴や裁判に関して手続きを簡素化しているだけであり、法的には、正式な罰金刑と同じなのです。
医学生たちには、いつも、「轢き逃げ犯」は厳しいだろうと、言っています。
なぜなら、怪我をしたり、生命の危険がある方を放置して、自らの保身を優先する行為は、医師としてあるまじき行動だと容易に判断できると思われるから。
道路交通法違反以外では、児童ポルノやわいせつ関係が心配ですね。最近、これらの犯罪に対する、社会の眼はかなり厳しくなってきており、医師にふさわしくないと判断される可能性があります。
医師に関し犯罪や不正:この規定が、一番、念頭に入れているのは、「偽医者」のことだとされています。50年ぐらい昔、医学生が、病院で「医師として」アルバイトをすることが行われていたことがあります。今では考えられないですが、それだけ、医師不足だったのですね。患者さんの側も、風邪の投薬や、切り傷の縫合、単純な骨折の整復固定、などは、医師の忙しさに気兼ねもして、ホンモノの医者でなくて「医学生」による診療でもよい、と、受け入れられていたようなこともあったようです。
まあ、昔と違って、今は、医師として違法アルバイトする医学生はいないでしょうけれど、最近は、こんなことが問題になるのではないかと心配しています。
「インターネットで、海外のサイトなどから、日本では未認可の医薬品を個人輸入して使用すること」(これも、自分だけが使うのと、他の人にそれを譲り渡すこととの間に、大きな違いがあるかもしれません)
おそらく、医学生が、医薬品をインターネットなどで、他の一般の人たちに、違法に医薬品を譲り渡すようなことをしていたとすれば、まず、医師免許はもらえない可能性が高いですよね。
いずれに該当した場合でも、裁量権の問題があるので、納得がいかない医学生は、どうすればよいかと言えば、厚生労働大臣に異議申し立てを行ったり、最終的には、国を相手に裁判を起こすことができるとは思います。
たとえば、このように主張するのかもしれません。
「私は、確かに、以前に、大麻を吸引して逮捕されたことがある。しかし、私は、それらの中毒者ではないので、医師免許の欠格事由にはあたらない」と。
しかし、どっちにしろ、面倒なことになることは間違いありません。
医師をめざす医学生の方は、十分に注意しておいて下さい。
「医師国家試験に合格しただけでは、医師ではない」
のです。
くりかえしますが、医師国家試験に合格しただけでは、医師免許はもらえないのです。法律の規定をみてみましょう。
医師法 第2条【医師の免許】
医師になろうとする者は、医師国家試験に合格し、厚生大臣の免許を受けなければならない。
第6条【免許の賦与、医師免許証、医師の届出義務】
(1)免許は、医籍に登録することによつて、これをなす。
(2)厚生大臣は、免許を与えたときは、医師免許証を交付する。
(3)医師は、省令で定める2年ごとの年の12月31日現在における氏名、住所(医業に従事する者については、更にその場所)その他省令で定める事項を、当該年の翌年1月15日までに、その住所地の都道府県知事を経由して厚生大臣に届け出なければならない。
これは、「医師国家試験に合格した人」と「医師免許を持つ人」が同じではないことが規定されているわけです。
医師になりたい人は、まず、医師国家試験に合格しなければなりませんが、合格すれば、そのまま、医師免許がもらえるのではありません。
では、どういう人が医師免許がもらえないのか、規定をみてみましょう。
第4条【相対的欠格事由】
左の各号の1に該当する者には、免許を与えないことがある。
1 精神病者又は麻薬、大麻若しくはあへんの中毒者
2 罰金以上の刑に処せられた者
3 前号に該当する者を除く外、医師に関し犯罪又は不正の行為のあつた者
相対的欠格事由というのは、「与えないことがある」ということで、与えるかどうか、厚生労働大臣
(つまり、厚生労働省ね)が、個々の事情を応じて判定する、ということです。これを裁量と呼びますね。
学生たちには、このように説明しています。
精神病については、また、別の考え方があると思います。不当な差別があってはいけません。
でも、麻薬や大麻に関して法律違反があるともらえないことがあるかもしれないこと、特に、海外旅行やインターネットなどで、遊び半分、興味半分であっても、絶対に、このようなモノに近づいてはいけないと。(ただし、「中毒者」という規定が問題になるかもしれません。)
罰金刑:道路交通法違反の赤切符すなわち略式起訴の罰金の命令も、略式起訴というのは、起訴や裁判に関して手続きを簡素化しているだけであり、法的には、正式な罰金刑と同じなのです。
医学生たちには、いつも、「轢き逃げ犯」は厳しいだろうと、言っています。
なぜなら、怪我をしたり、生命の危険がある方を放置して、自らの保身を優先する行為は、医師としてあるまじき行動だと容易に判断できると思われるから。
道路交通法違反以外では、児童ポルノやわいせつ関係が心配ですね。最近、これらの犯罪に対する、社会の眼はかなり厳しくなってきており、医師にふさわしくないと判断される可能性があります。
医師に関し犯罪や不正:この規定が、一番、念頭に入れているのは、「偽医者」のことだとされています。50年ぐらい昔、医学生が、病院で「医師として」アルバイトをすることが行われていたことがあります。今では考えられないですが、それだけ、医師不足だったのですね。患者さんの側も、風邪の投薬や、切り傷の縫合、単純な骨折の整復固定、などは、医師の忙しさに気兼ねもして、ホンモノの医者でなくて「医学生」による診療でもよい、と、受け入れられていたようなこともあったようです。
まあ、昔と違って、今は、医師として違法アルバイトする医学生はいないでしょうけれど、最近は、こんなことが問題になるのではないかと心配しています。
「インターネットで、海外のサイトなどから、日本では未認可の医薬品を個人輸入して使用すること」(これも、自分だけが使うのと、他の人にそれを譲り渡すこととの間に、大きな違いがあるかもしれません)
おそらく、医学生が、医薬品をインターネットなどで、他の一般の人たちに、違法に医薬品を譲り渡すようなことをしていたとすれば、まず、医師免許はもらえない可能性が高いですよね。
いずれに該当した場合でも、裁量権の問題があるので、納得がいかない医学生は、どうすればよいかと言えば、厚生労働大臣に異議申し立てを行ったり、最終的には、国を相手に裁判を起こすことができるとは思います。
たとえば、このように主張するのかもしれません。
「私は、確かに、以前に、大麻を吸引して逮捕されたことがある。しかし、私は、それらの中毒者ではないので、医師免許の欠格事由にはあたらない」と。
しかし、どっちにしろ、面倒なことになることは間違いありません。
医師をめざす医学生の方は、十分に注意しておいて下さい。
2009年07月29日
英語圏以外の外国の医学部の先生に、こんなことを言われたことがあります。
「英語の教科書を使わずに、日本語の医学の教科書を使っている?あなたたちは、英語で書かれた医学の教科書を、全て、日本語に翻訳したのか?全部?」
「そうだ」と、胸を張って返事したら、こんな反応だった。
「そんなバカバカしい努力をして、最新の教科書も全部、タイムラグなしに、みんな日本語になっているのか?ありえない。クレージーだ。」と、言われてしまいました。
カリキュラムはよいかもしれないが、そもそも、その中身が英語でないから、評価の対象にならない、という感じでした。
英語で医学を学ぶことを推進しています。奨励しています。
実際に英語の本を読む勉強会も開催していますし、その中から、学生の間に、USMLE STEP1に合格する学生も輩出しています。
でも。
日本の医師国家試験は日本語で実施されています。ここがジレンマ。
今朝、NHKのニュースをみていたら、外国人看護師のニュースをしていました。
趣旨は、こういうことでした。
東南アジアの看護師を日本に招き、実際に病院や介護施設などで実習をしながら、3年間の間に日本の看護師試験を受けて合格をめざす、ということが、日本語が障壁となって、なかなか、合格することが難しい、らしいです。そうだろうと思います。でも、彼女たちは、もともと、医学知識や看護の知識は、それぞれの母国語で学んでいて、出身国の看護師資格は持っているのですけれど。試験は日本語なので。
でも、東南アジアの高校卒業生を、そのまま、日本の看護大学や看護学校に留学させて、日本の看護師免許を取得するようにすると、意外と苦労せずに合格して行くことができる例があるとのことでした。
このニュースをみながら、考えたことは、専門知識を学ぶのに、その知識の有無を試験する資格試験と同じ言語で学ぶ方が合格しやすいということでしょうか。
日本の医師国家試験は日本語で行われているから、医学科の学生たちに英語で医学を学べ、と、奨励することについて、少し、躊躇を感じてしまいました。もちろん、このことは、私個人で勝手にやっていることではなくて、学部全体でそのような方向性を重視することになっているのですが。
まさか、資格試験を日本語だけで実施していることが、「参入障壁」「国内保護」の目的がメインだとは思いませんが、そのような側面はあるのかもしれませんね。
でも、医学を学ぶことが、資格試験の合格をめざすだけであるなら。そうかもしれない。「効率」はよさそうだ。
医学部で医学を学ぶ医学生の学習意欲のあり方について、興味を持っています。
医学という学問を追究すること自体を目的とするなら、ぜひ、英語で学んで欲しいと思います。(うちの学生たちに怒られるかな)。医学の進歩に、うちの学生たちが貢献してもらうためにも。
日本語で医学を学ぶことが効率いい、ということが本当なら、残念なことです。(入学後6年後までに限れば、そうなのかなあ。)
それに、教育に「効率」という価値観・評価基準を入れる場合は、適切に行わないと、本質を見誤ってしまう危険があると思っています。
「英語の教科書を使わずに、日本語の医学の教科書を使っている?あなたたちは、英語で書かれた医学の教科書を、全て、日本語に翻訳したのか?全部?」
「そうだ」と、胸を張って返事したら、こんな反応だった。
「そんなバカバカしい努力をして、最新の教科書も全部、タイムラグなしに、みんな日本語になっているのか?ありえない。クレージーだ。」と、言われてしまいました。
カリキュラムはよいかもしれないが、そもそも、その中身が英語でないから、評価の対象にならない、という感じでした。
英語で医学を学ぶことを推進しています。奨励しています。
実際に英語の本を読む勉強会も開催していますし、その中から、学生の間に、USMLE STEP1に合格する学生も輩出しています。
でも。
日本の医師国家試験は日本語で実施されています。ここがジレンマ。
今朝、NHKのニュースをみていたら、外国人看護師のニュースをしていました。
趣旨は、こういうことでした。
東南アジアの看護師を日本に招き、実際に病院や介護施設などで実習をしながら、3年間の間に日本の看護師試験を受けて合格をめざす、ということが、日本語が障壁となって、なかなか、合格することが難しい、らしいです。そうだろうと思います。でも、彼女たちは、もともと、医学知識や看護の知識は、それぞれの母国語で学んでいて、出身国の看護師資格は持っているのですけれど。試験は日本語なので。
でも、東南アジアの高校卒業生を、そのまま、日本の看護大学や看護学校に留学させて、日本の看護師免許を取得するようにすると、意外と苦労せずに合格して行くことができる例があるとのことでした。
このニュースをみながら、考えたことは、専門知識を学ぶのに、その知識の有無を試験する資格試験と同じ言語で学ぶ方が合格しやすいということでしょうか。
日本の医師国家試験は日本語で行われているから、医学科の学生たちに英語で医学を学べ、と、奨励することについて、少し、躊躇を感じてしまいました。もちろん、このことは、私個人で勝手にやっていることではなくて、学部全体でそのような方向性を重視することになっているのですが。
まさか、資格試験を日本語だけで実施していることが、「参入障壁」「国内保護」の目的がメインだとは思いませんが、そのような側面はあるのかもしれませんね。
でも、医学を学ぶことが、資格試験の合格をめざすだけであるなら。そうかもしれない。「効率」はよさそうだ。
医学部で医学を学ぶ医学生の学習意欲のあり方について、興味を持っています。
医学という学問を追究すること自体を目的とするなら、ぜひ、英語で学んで欲しいと思います。(うちの学生たちに怒られるかな)。医学の進歩に、うちの学生たちが貢献してもらうためにも。
日本語で医学を学ぶことが効率いい、ということが本当なら、残念なことです。(入学後6年後までに限れば、そうなのかなあ。)
それに、教育に「効率」という価値観・評価基準を入れる場合は、適切に行わないと、本質を見誤ってしまう危険があると思っています。
2009年07月07日
今の6年生たちが受験する予定の、来年2月に実施される、第104回医師国家試験の試験日などが厚生労働省から発表されました。
例年通り、2月の13日土曜日、14日日曜日、15日月曜日の3日間の試験日程だそうです。
今、7月ですから、あと7ヶ月ほどということですね。いよいよ、6年生たち、がんばっていかねばなりません。
次第に、国家試験勉強をしている6年生をたくさんみかけるようになってきました。戦略的に、がんばってください。たぶん、まずは、一般問題からね。ぜひ、複数学生の勉強会形式で取り組むことをお勧めします。分担して、そして、教えあいというのようなしっかりした勉強会でなくても、同じ時間、同じ場所に集まって、それぞれが本を開く、という形でもよいと思います。ペース作りと、疑問がわいたときの質問相手、って感じでもいいと思います。緩めの勉強会とでもいいましょうかね。
6年生がこんなことを言っていました。
「先生、国家試験の勉強って、なんだかな〜、って感じがします。深く追究するよりも、広く、流すようにやって行く方がいいですかね?」
このような質問をたくさん受けるようになりました。
医学部の教員としては、医学教育担当の専任教員としては、やはり、
「いやいや、6年間の学問の総まとめなんだから、途中で寸止めしたりせず、とことん、突き詰めて、納得できるまで追究しようよ」
って、言ってあげたいのですが、まあ、相手の学生にもよるのですが、やはり、ここは、そのような理想的な返事はできない。残念だけど。
このような返事が妥当なところと思っています。
「今まで、あなたがやってきた医学学習の成果は十分だとは思うけれど、やはり、どうしても、薄い部分と言うか、苦手部分ができてしまうと思います。医師国家試験は、医師として最低限の医学知識や理解量を測定するものなので、まんべんなく幅広い知識が必要です。そこで、とりあえずは、まず、自分が苦手とする領域を発見するためにも、夏休みまでに、ざーっと1回、全ての領域を確認してみるのはどうでしょう。それで、苦手領域が見つかったら、その部分を夏休みなどに重点的に対策して行くといいでしょう。」
これって、大学生がその最後の学年にやる勉強とは言えないかもしれない。
医学部医学科には、通常、卒業論文とか、卒業研究とかはないのです。卒業試験と、そのあとの、医師国家試験のみです。
なんとなく、むなしさも残ります。まあ、医師国家試験勉強だけをするのではなくて、少し、自分の探究心、好奇心も満たすような時間も持って行くことができる余裕があればなあって、思いますけれども。
例年通り、2月の13日土曜日、14日日曜日、15日月曜日の3日間の試験日程だそうです。
今、7月ですから、あと7ヶ月ほどということですね。いよいよ、6年生たち、がんばっていかねばなりません。
次第に、国家試験勉強をしている6年生をたくさんみかけるようになってきました。戦略的に、がんばってください。たぶん、まずは、一般問題からね。ぜひ、複数学生の勉強会形式で取り組むことをお勧めします。分担して、そして、教えあいというのようなしっかりした勉強会でなくても、同じ時間、同じ場所に集まって、それぞれが本を開く、という形でもよいと思います。ペース作りと、疑問がわいたときの質問相手、って感じでもいいと思います。緩めの勉強会とでもいいましょうかね。
6年生がこんなことを言っていました。
「先生、国家試験の勉強って、なんだかな〜、って感じがします。深く追究するよりも、広く、流すようにやって行く方がいいですかね?」
このような質問をたくさん受けるようになりました。
医学部の教員としては、医学教育担当の専任教員としては、やはり、
「いやいや、6年間の学問の総まとめなんだから、途中で寸止めしたりせず、とことん、突き詰めて、納得できるまで追究しようよ」
って、言ってあげたいのですが、まあ、相手の学生にもよるのですが、やはり、ここは、そのような理想的な返事はできない。残念だけど。
このような返事が妥当なところと思っています。
「今まで、あなたがやってきた医学学習の成果は十分だとは思うけれど、やはり、どうしても、薄い部分と言うか、苦手部分ができてしまうと思います。医師国家試験は、医師として最低限の医学知識や理解量を測定するものなので、まんべんなく幅広い知識が必要です。そこで、とりあえずは、まず、自分が苦手とする領域を発見するためにも、夏休みまでに、ざーっと1回、全ての領域を確認してみるのはどうでしょう。それで、苦手領域が見つかったら、その部分を夏休みなどに重点的に対策して行くといいでしょう。」
これって、大学生がその最後の学年にやる勉強とは言えないかもしれない。
医学部医学科には、通常、卒業論文とか、卒業研究とかはないのです。卒業試験と、そのあとの、医師国家試験のみです。
なんとなく、むなしさも残ります。まあ、医師国家試験勉強だけをするのではなくて、少し、自分の探究心、好奇心も満たすような時間も持って行くことができる余裕があればなあって、思いますけれども。
2009年07月02日
高校は、今、試験中みたいですね。
朝の電車の中では、みんな教科書やノートを開いたり、互いに問題を出したりしています。
進学校の生徒たちだけでなく、いつもはダラダラと面倒くさそうにしている生徒たちも。
回答を聞けば、質問がわかる感じがします。
こんなことを言い合っている生徒たちがいました。
「お前、なんで、小野小町と書いたんや?」
試験に、小野小町が出るとは考えられず。思わず、ニヤリとしてしまいました。
返答する方は、「三大美人を聞かれたから!」と、反撃していたけど。
2人の会話からは、問題はわからないけど、でも、たぶん、正解は小野妹子。
間違えたほうも、正解はわかっただろうけど、まさか、女性と思ってないだろうね。
朝の電車の中では、みんな教科書やノートを開いたり、互いに問題を出したりしています。
進学校の生徒たちだけでなく、いつもはダラダラと面倒くさそうにしている生徒たちも。
回答を聞けば、質問がわかる感じがします。
こんなことを言い合っている生徒たちがいました。
「お前、なんで、小野小町と書いたんや?」
試験に、小野小町が出るとは考えられず。思わず、ニヤリとしてしまいました。
返答する方は、「三大美人を聞かれたから!」と、反撃していたけど。
2人の会話からは、問題はわからないけど、でも、たぶん、正解は小野妹子。
間違えたほうも、正解はわかっただろうけど、まさか、女性と思ってないだろうね。
2009年06月13日
うちの大学では、6年生のカリキュラムは4月から7月末まで、臨床実習が4ヶ月間設定されています。この実習は、自分が希望する診療科や病院で、5年生で1年間実施されているクリニカルクラークシップよりも、より深い内容の実習をすることを想定していて、場合によっては、指導医の監督指示のもと、研修医レベルの体験を行う場合もあるかもしれません。臨床実習の総まとめという感じかもしれません。
そして、6年生の9月からは、12月まで、ずっと、卒業試験です。6年間の医学教育の総まとめという感じになっています。
最近、グループ学習のために24時間解放しているチュートリアル室に、6年生たちの姿をよくみかけるようになりました。夜や休日など、数人の6年生が集まって熱心に勉強会をしています。
「がんばっているね」
「はい、国家試験の勉強をしないと」
なるほどね。
医師国家試験は、全体の合格率も90%ぐらいあるので、「楽勝」な試験と思われがちですが、そんなことはありません。全国の医学生たちが、この試験に向けて、長期間、しっかりと準備をするので、このような合格率をマークしているのだと思います。のんびりしていると、残念なことになる可能性があります。
特に、6年生までの間に、同級生たちと比べても、「あまり医学学習に熱心に取り組まなかったな」と自分のこと客観的に評価せざるを得ない学生の方は、今から、しっかりと準備を始めて行く必要があります。まあ、今年は卒業しないで、国家試験は、今の5年生たちと受験しよう、と、このように思っている方は別ですが。
そういう方は、今から、まずは、「一般問題」から取り組んで行きましょう。しっかり、各領域の基礎医学から、知識をきちんと確認し、知識体系を組み立てていきましょう。
ということで、長期的な計画的な戦略的な勉強法が必要で、なかなか、一人では大変です。医学知識は膨大ですし、ここはやはり、「三人寄れば文殊の知恵」ということで、勉強のペース作りにもなりますから、一緒に勉強会をして行こう、などと、友達を誘って、勉強会を始めるのが一番確実と思います。
別に、いわゆる「ブレイン」と呼ばれる学生が入っている必要はありません。「三人寄れば文殊の知恵」なのです。互いに教えあい、調べ合いをして、知識を固めて行きましょう。
うちの大学は、そのような6年生の勉強会のために、小部屋をたくさん用意しています。
そして、6年生の9月からは、12月まで、ずっと、卒業試験です。6年間の医学教育の総まとめという感じになっています。
最近、グループ学習のために24時間解放しているチュートリアル室に、6年生たちの姿をよくみかけるようになりました。夜や休日など、数人の6年生が集まって熱心に勉強会をしています。
「がんばっているね」
「はい、国家試験の勉強をしないと」
なるほどね。
医師国家試験は、全体の合格率も90%ぐらいあるので、「楽勝」な試験と思われがちですが、そんなことはありません。全国の医学生たちが、この試験に向けて、長期間、しっかりと準備をするので、このような合格率をマークしているのだと思います。のんびりしていると、残念なことになる可能性があります。
特に、6年生までの間に、同級生たちと比べても、「あまり医学学習に熱心に取り組まなかったな」と自分のこと客観的に評価せざるを得ない学生の方は、今から、しっかりと準備を始めて行く必要があります。まあ、今年は卒業しないで、国家試験は、今の5年生たちと受験しよう、と、このように思っている方は別ですが。
そういう方は、今から、まずは、「一般問題」から取り組んで行きましょう。しっかり、各領域の基礎医学から、知識をきちんと確認し、知識体系を組み立てていきましょう。
ということで、長期的な計画的な戦略的な勉強法が必要で、なかなか、一人では大変です。医学知識は膨大ですし、ここはやはり、「三人寄れば文殊の知恵」ということで、勉強のペース作りにもなりますから、一緒に勉強会をして行こう、などと、友達を誘って、勉強会を始めるのが一番確実と思います。
別に、いわゆる「ブレイン」と呼ばれる学生が入っている必要はありません。「三人寄れば文殊の知恵」なのです。互いに教えあい、調べ合いをして、知識を固めて行きましょう。
うちの大学は、そのような6年生の勉強会のために、小部屋をたくさん用意しています。
2009年06月09日
毎年、2月に行われた医師国家試験の問題集を購入し、分析しています。例年だと、五月の連休の楽しみにしているのですが、今年は、都合により遅れてしまって、今、問題集をみています。
今年の第103回は、新型の問題が出題されることが事前にアナウンスされていたり、また、問題のブロック構成が混成になったり、出題の順序(領域別に整然と出題されるのが普通だった)が、実際の救急外来のように、不規則に並べられたりして、いろいろと話題になった試験だったと思います。
もう、卒業して研修医をしている受験生たちに、話をきいて、いろいろ情報を得ていましたが、こうやって、問題集として販売されているものを手に取ってみると、興味深いですね。
国立大学医学部の教員も、医師国家試験の問題集を購入して分析しているのか、と、驚かれる方もいるかもしれませんし、あるいは、それは当然のことだろ、って、感想をお持ちの方もいるかもしれませんが、私が学生だった頃は、国家試験の傾向などは一切無視した試験が課されるのが当然でした。
数年前にこの仕事についたとき、新しい医学教育理論の実践を中心に責務を始めたのですが、次第に、おやおや、これは、医師国家試験の問題をみておかないとだめだなと、感じまして、すぐに国家試験の問題集を購入し始めましたし、5年前には、とりあえずクエスチョンバンクを全部そろえました。
医師国家試験は、ここ数年、毎年のように、ガラリと変更が加えられているので、びっくりなのですが、第100回と第102回が出題内容もよかったかなと思っています。
それで、今年の第103回ですが、これが、なかなか、すばらしい問題だと感服しています。
というのは、自分自身、卒業試験やチュートリアル教育、あるいは、医師国家試験対策や共用試験CBT対策を担当してることもあり、問題を作ってみることも多いのですが、なかなか、医学教育の専門と言いながら、良問を作ることに成功するのは少ないのです。評価って、本当に難しいと毎日感じています。
知識の有無、暗記力で対応できるような問題を作るのはそれほど難しくはありません。でも、3−4年生のPBL-tutorial教育では、病態メカニズムの理解を最重視していますし、6年生の卒業試験では、鑑別診断能力、臨床推論能力、画像診断能力を適切に評価できる試験を実施したいと思って、いろいろ、工夫をしてきていますので、試験問題を作ることの困難さ、良問を生み出すことの難しさを実感しているのです。
だから、このように、力作の試験問題に触れると、素直に、感動してしまうのです。
第103回医師国家試験の出題委員の先生方のご努力には、本当に、感服しています。
第103回の試験問題を十分に吟味し、今の6年生たちにフィードバックして行きたいと思っていますが、しかし、やっぱり、低学年のうちに、少なくとも4年生までには、主な病態メカニズムをきちんと理解し、そして、それから、適切な、臨床推論、鑑別診断能力を育成して行けば、この試験は全く怖くはありませんし、このような改善は全く望むところとも言えます。
このようなアプローチでやってきたことに、改めて、自信も持ちました。だから、がんばっていきましょう。
*でも、このような資格試験って、教員や大学がどんなにがんばっても、結局のところ、各学生個人個人がどこまで真剣に準備をするかということにかかっています。代わりに受けてあげることはできないので。(お前が受けたら、合格できるんか!って、ツッコミが聞こえるような気がする。笑)
もちろん、うちの学生さんたちだけでなくて、個々の具体的な事項については、また、折々、このブログにも紹介して行きますね。
とりあえず、最初に述べておきたいのは、過去問の模範解答の丸暗記だけでなく、なぜ、その選択肢が正解なのか、疑問をもって、調べておくことが大事と思います。特に、「なぜ、診断のためにその検査をするのか」、「なぜ、このような処置をすると改善につながるのか」ということを。
よく、「whatではなく、whyという疑問をもて」って言われるでしょう。
今、臨床実習中の6年生や5年生のみなさんは、問題集よりも実習そのもので、そのことを実践し、実習中にしっかりと「生きた」知識を学び続けて下さい。それが、実は結果的に、国家試験対策にもつながりますよ。
(国家試験合格のためだけに、医学を学ぶのではありませんけれどね!)
今年の第103回は、新型の問題が出題されることが事前にアナウンスされていたり、また、問題のブロック構成が混成になったり、出題の順序(領域別に整然と出題されるのが普通だった)が、実際の救急外来のように、不規則に並べられたりして、いろいろと話題になった試験だったと思います。
もう、卒業して研修医をしている受験生たちに、話をきいて、いろいろ情報を得ていましたが、こうやって、問題集として販売されているものを手に取ってみると、興味深いですね。
国立大学医学部の教員も、医師国家試験の問題集を購入して分析しているのか、と、驚かれる方もいるかもしれませんし、あるいは、それは当然のことだろ、って、感想をお持ちの方もいるかもしれませんが、私が学生だった頃は、国家試験の傾向などは一切無視した試験が課されるのが当然でした。
数年前にこの仕事についたとき、新しい医学教育理論の実践を中心に責務を始めたのですが、次第に、おやおや、これは、医師国家試験の問題をみておかないとだめだなと、感じまして、すぐに国家試験の問題集を購入し始めましたし、5年前には、とりあえずクエスチョンバンクを全部そろえました。
医師国家試験は、ここ数年、毎年のように、ガラリと変更が加えられているので、びっくりなのですが、第100回と第102回が出題内容もよかったかなと思っています。
それで、今年の第103回ですが、これが、なかなか、すばらしい問題だと感服しています。
というのは、自分自身、卒業試験やチュートリアル教育、あるいは、医師国家試験対策や共用試験CBT対策を担当してることもあり、問題を作ってみることも多いのですが、なかなか、医学教育の専門と言いながら、良問を作ることに成功するのは少ないのです。評価って、本当に難しいと毎日感じています。
知識の有無、暗記力で対応できるような問題を作るのはそれほど難しくはありません。でも、3−4年生のPBL-tutorial教育では、病態メカニズムの理解を最重視していますし、6年生の卒業試験では、鑑別診断能力、臨床推論能力、画像診断能力を適切に評価できる試験を実施したいと思って、いろいろ、工夫をしてきていますので、試験問題を作ることの困難さ、良問を生み出すことの難しさを実感しているのです。
だから、このように、力作の試験問題に触れると、素直に、感動してしまうのです。
第103回医師国家試験の出題委員の先生方のご努力には、本当に、感服しています。
第103回の試験問題を十分に吟味し、今の6年生たちにフィードバックして行きたいと思っていますが、しかし、やっぱり、低学年のうちに、少なくとも4年生までには、主な病態メカニズムをきちんと理解し、そして、それから、適切な、臨床推論、鑑別診断能力を育成して行けば、この試験は全く怖くはありませんし、このような改善は全く望むところとも言えます。
このようなアプローチでやってきたことに、改めて、自信も持ちました。だから、がんばっていきましょう。
*でも、このような資格試験って、教員や大学がどんなにがんばっても、結局のところ、各学生個人個人がどこまで真剣に準備をするかということにかかっています。代わりに受けてあげることはできないので。(お前が受けたら、合格できるんか!って、ツッコミが聞こえるような気がする。笑)
もちろん、うちの学生さんたちだけでなくて、個々の具体的な事項については、また、折々、このブログにも紹介して行きますね。
とりあえず、最初に述べておきたいのは、過去問の模範解答の丸暗記だけでなく、なぜ、その選択肢が正解なのか、疑問をもって、調べておくことが大事と思います。特に、「なぜ、診断のためにその検査をするのか」、「なぜ、このような処置をすると改善につながるのか」ということを。
よく、「whatではなく、whyという疑問をもて」って言われるでしょう。
今、臨床実習中の6年生や5年生のみなさんは、問題集よりも実習そのもので、そのことを実践し、実習中にしっかりと「生きた」知識を学び続けて下さい。それが、実は結果的に、国家試験対策にもつながりますよ。
(国家試験合格のためだけに、医学を学ぶのではありませんけれどね!)
2009年04月13日
先日の、第103回医師国家試験がうまく行かなかった方(4月以降は、卒業生であり、法的には、大学とは基本的に関係がなくなる)と、面談をしています。
自己採点の結果から、合否の連絡がある前に、予想はできていた、という方が多く、それほど、精神的ショックは大きくない、とのことで、こちらも一安心です。発表から、少し、時間が経過した、ということもあるのかもしれません。
これも、人間の脳神経の可塑性がなせるわざなのでしょうか?
なぜ、卒業生と面談しているかといえば、主に、こんな目的のためです。
1 正式な合否の結果を受けて、精神的な状態や社会的・経済的状況を確認したい
2 残念な結果だった卒業生が、来年、合格するために、なんらかのお手伝いをしたい
3 今後、同じような思いをする医学生が出ないよう、その貴重な体験から教訓を得たい
ということでしょうか。
卒業生の方は、みんな、こんなことを言います。
「医師国家試験の浪人というのは、医学生とは社会的立場が弱いように感じる」
大学を卒業しているのですし、医学生よりも社会的な立場は強くなるように思いますが、実際には、その逆の感想を持つ方が多い。もちろん、正式に不合格と通知を受けたことによる精神的なダメージにより、自らを矮小化してしまう心理状態に陥る方もいるかもしれません。
でも、たとえば、こんな実例をあげる卒業生がいました。
「医学生なら、マンションを貸せるが、無職の人には貸せない、と、マンションの大家さんに言われた」
厳しい現実ですね。
私は、国家試験に合格できないようであれば、無理して医学部を卒業することはなく、留年して、医学生と言う社会的立場を維持するようにした方がよい、と、思ってさえいます。
全国平均の合格率が90%を超えるような試験、とはいえ、それは、全国の医学生の皆さんが、しっかりと勉強するから、そのような数字になっているのだ、と思います。平均の合格率の数字から、この試験は簡単なのだ、ということはあてはまらない、と思っています。
ある卒業生は、こんな感想を言っていました。
「本気で、きちんと準備をやれば、数ヶ月もあれば、この試験には合格できると確信している」
まったく、その通りだと思います。
この言葉の大事な所は、「数ヶ月は、本気でがんばる」ということですよね。このことを、医学生たちにきちんと伝えておきたいと思っています。
自己採点の結果から、合否の連絡がある前に、予想はできていた、という方が多く、それほど、精神的ショックは大きくない、とのことで、こちらも一安心です。発表から、少し、時間が経過した、ということもあるのかもしれません。
これも、人間の脳神経の可塑性がなせるわざなのでしょうか?
なぜ、卒業生と面談しているかといえば、主に、こんな目的のためです。
1 正式な合否の結果を受けて、精神的な状態や社会的・経済的状況を確認したい
2 残念な結果だった卒業生が、来年、合格するために、なんらかのお手伝いをしたい
3 今後、同じような思いをする医学生が出ないよう、その貴重な体験から教訓を得たい
ということでしょうか。
卒業生の方は、みんな、こんなことを言います。
「医師国家試験の浪人というのは、医学生とは社会的立場が弱いように感じる」
大学を卒業しているのですし、医学生よりも社会的な立場は強くなるように思いますが、実際には、その逆の感想を持つ方が多い。もちろん、正式に不合格と通知を受けたことによる精神的なダメージにより、自らを矮小化してしまう心理状態に陥る方もいるかもしれません。
でも、たとえば、こんな実例をあげる卒業生がいました。
「医学生なら、マンションを貸せるが、無職の人には貸せない、と、マンションの大家さんに言われた」
厳しい現実ですね。
私は、国家試験に合格できないようであれば、無理して医学部を卒業することはなく、留年して、医学生と言う社会的立場を維持するようにした方がよい、と、思ってさえいます。
全国平均の合格率が90%を超えるような試験、とはいえ、それは、全国の医学生の皆さんが、しっかりと勉強するから、そのような数字になっているのだ、と思います。平均の合格率の数字から、この試験は簡単なのだ、ということはあてはまらない、と思っています。
ある卒業生は、こんな感想を言っていました。
「本気で、きちんと準備をやれば、数ヶ月もあれば、この試験には合格できると確信している」
まったく、その通りだと思います。
この言葉の大事な所は、「数ヶ月は、本気でがんばる」ということですよね。このことを、医学生たちにきちんと伝えておきたいと思っています。
2009年03月28日
2009年03月27日
第103回医師国家試験の結果が発表されました。
全員合格を祈っていましたが、とても残念な結果でした。というか、悔しい。
はっきりいえば、
「やるときは、やらねば」
残念だった方は、この辛さに、必ず、来年は合格するよう頑張るだろうと思いますが、ならば、最初からがんばれたはずなのです。
こういう資格試験は、合格しなければ意味がありません。そして、そのためには、本人がやるしかないのです。
こんなつらい思いをする学生は、少なくとも、うちの学生たちからは絶無にしないと。
さっそく、4月からビシバシやるしかない。
もう一度、繰り返します。
「やるときは、やらねば」
つらい思いをするのは自分だから。
第103回医師国家試験の合格基準は、
一般問題を1問1点、臨床実地問題を1問3点とし、(1)〜(4)のすべての合格基準を満たした者を合格とする。
(1)一般問題 125点以上/198点
(2)臨床実地問題 380点以上/591点
(3)必修問題 160点以上/200点
但し、必修問題の一部を採点から除外された受験者にあっては、必修問題の得点について総点数の80%以上とする。
(4)禁忌肢問題選択数 2問以下
全員合格を祈っていましたが、とても残念な結果でした。というか、悔しい。
はっきりいえば、
「やるときは、やらねば」
残念だった方は、この辛さに、必ず、来年は合格するよう頑張るだろうと思いますが、ならば、最初からがんばれたはずなのです。
こういう資格試験は、合格しなければ意味がありません。そして、そのためには、本人がやるしかないのです。
こんなつらい思いをする学生は、少なくとも、うちの学生たちからは絶無にしないと。
さっそく、4月からビシバシやるしかない。
もう一度、繰り返します。
「やるときは、やらねば」
つらい思いをするのは自分だから。
第103回医師国家試験の合格基準は、
一般問題を1問1点、臨床実地問題を1問3点とし、(1)〜(4)のすべての合格基準を満たした者を合格とする。
(1)一般問題 125点以上/198点
(2)臨床実地問題 380点以上/591点
(3)必修問題 160点以上/200点
但し、必修問題の一部を採点から除外された受験者にあっては、必修問題の得点について総点数の80%以上とする。
(4)禁忌肢問題選択数 2問以下
2009年03月26日
教育の仕事を続けてきて、思うこと。
教育は、バランスが大事ってこと。
毎日、実感しています。
たとえば、卒業試験の出題内容は、彼らが数ヶ月後に受験する予定の医師国家試験と似たようなものがいいのか、あるいは、6年間の医学教育の総まとめとしてのアカデミズムを追求したものがいいのか(これは、医師国家試験がどうしても、研修医となる医師として期待されている最低限の知識を網羅したものが出題基準となるので、最先端医療の成果を問うような出題が少ないことがあります。そもそも、マークシート方式ですし)。
あるいは、競争心をあおるような教育指導がいいのか、結果平等的なものがいいのか(努力をした学生がよい果実を得る、というのと、どんな学生もみな公平によい教育サービスを享受できることと、どっちが大事なのか)
面接の入試では、面接や小論文だけでなくセンター試験の結果を加算すべきか、それとも、センター試験は予備選抜として位置すべきか。
よく二者択一で議論されやすいのですが、なかなか、どちらが一方的によい、という結論はでないように思います。もちろん、様々な過去のデータを十分に解析すべきですが、結論は出にくいことが多いです。エビデンスが出にくいという性格を持っています。(もちろん、常々、エビデンスは探さなければなりませんし、可能なら、エビデンスを作り出さねばなりません)
よく、
「教育は、信念である」
と、言われます。確かに言い得て妙と思います。信念がないと、どんな新しい教育カリキュラムを導入しても、表面的な模倣にすぎず、「仏を作って魂を入れず」という感がぬぐえません。学生を、まるで実験モデルのようにするのは、危険だと思っています。
エビデンスが得られないことについて、「教育は信念で行うものだから」とかわしていくのは一つの方法だとは思いますが、もし、現場で学生や教員たちが右往左往し、悲鳴を上げている状況を無視して、涼しい顔をして、そんなことを言っているのであれば、これも悲劇だと思っています。
教育には、信念が大事。そして、その信念の実施においては、現場感覚が不可欠。バランスですね。
言うのは簡単ですが、実施は容易ではありません。
教育は、バランスが大事ってこと。
毎日、実感しています。
たとえば、卒業試験の出題内容は、彼らが数ヶ月後に受験する予定の医師国家試験と似たようなものがいいのか、あるいは、6年間の医学教育の総まとめとしてのアカデミズムを追求したものがいいのか(これは、医師国家試験がどうしても、研修医となる医師として期待されている最低限の知識を網羅したものが出題基準となるので、最先端医療の成果を問うような出題が少ないことがあります。そもそも、マークシート方式ですし)。
あるいは、競争心をあおるような教育指導がいいのか、結果平等的なものがいいのか(努力をした学生がよい果実を得る、というのと、どんな学生もみな公平によい教育サービスを享受できることと、どっちが大事なのか)
面接の入試では、面接や小論文だけでなくセンター試験の結果を加算すべきか、それとも、センター試験は予備選抜として位置すべきか。
よく二者択一で議論されやすいのですが、なかなか、どちらが一方的によい、という結論はでないように思います。もちろん、様々な過去のデータを十分に解析すべきですが、結論は出にくいことが多いです。エビデンスが出にくいという性格を持っています。(もちろん、常々、エビデンスは探さなければなりませんし、可能なら、エビデンスを作り出さねばなりません)
よく、
「教育は、信念である」
と、言われます。確かに言い得て妙と思います。信念がないと、どんな新しい教育カリキュラムを導入しても、表面的な模倣にすぎず、「仏を作って魂を入れず」という感がぬぐえません。学生を、まるで実験モデルのようにするのは、危険だと思っています。
エビデンスが得られないことについて、「教育は信念で行うものだから」とかわしていくのは一つの方法だとは思いますが、もし、現場で学生や教員たちが右往左往し、悲鳴を上げている状況を無視して、涼しい顔をして、そんなことを言っているのであれば、これも悲劇だと思っています。
教育には、信念が大事。そして、その信念の実施においては、現場感覚が不可欠。バランスですね。
言うのは簡単ですが、実施は容易ではありません。
2009年03月25日
今日は、卒業式でした。先ほど、謝恩会も終わりました。
このクラスは、6年前に入学式で出会ったときから、なんだか印象深い学年で、とても優秀な学生から、型にはまらないような個性的な学生まで、とてもバラエティーに富ながら、かつ、まとまり感のある、うらやましいぐらいの学生たちでした。
実は、この時期は苦手なのです。みんな、晴れやかな顔をして、きらびやかな服を着て、胸を張って、私の部屋にあいさつに来てくれるのですが、みんな、眩しくて、こっちはどんな顔をしていいのか、困ってしまうのです。毎年。
なんだか、大事な仲間たちが、手の届かない遠くへ行ってしまう感じで、なんか、寂しいのですね。かといって、ずっといてもらっても困るのですが。笑。
あさって、国家試験の結果が発表ですが、全員合格を確信しています。4月からは、みんな、待ちに待った医師ですね。大変なことも多いと思いますが、自分を信じて、がんばっていってくれることを祈っています。
なんと、謝恩会で、学生たちから、胴上げされてしまいました。本当は、彼らが祝福されないといけないのにね。
メタボの体を持ち上げてくれてありがとう!!こんなことなら、もっとダイエットしておけば良かったなあ。
このクラスは、6年前に入学式で出会ったときから、なんだか印象深い学年で、とても優秀な学生から、型にはまらないような個性的な学生まで、とてもバラエティーに富ながら、かつ、まとまり感のある、うらやましいぐらいの学生たちでした。
実は、この時期は苦手なのです。みんな、晴れやかな顔をして、きらびやかな服を着て、胸を張って、私の部屋にあいさつに来てくれるのですが、みんな、眩しくて、こっちはどんな顔をしていいのか、困ってしまうのです。毎年。
なんだか、大事な仲間たちが、手の届かない遠くへ行ってしまう感じで、なんか、寂しいのですね。かといって、ずっといてもらっても困るのですが。笑。
あさって、国家試験の結果が発表ですが、全員合格を確信しています。4月からは、みんな、待ちに待った医師ですね。大変なことも多いと思いますが、自分を信じて、がんばっていってくれることを祈っています。
なんと、謝恩会で、学生たちから、胴上げされてしまいました。本当は、彼らが祝福されないといけないのにね。
メタボの体を持ち上げてくれてありがとう!!こんなことなら、もっとダイエットしておけば良かったなあ。
2009年03月10日
医学部の入学定員を卒業定員より多くするアイデアについて、
ご質問をコメントにたくさんいただくので、新たにページを立てて、このアイデアについて、考えてみたいと思います。
元のページは、以下のページです。
http://nakaikeiji.livedoor.biz/archives/51516902.html#comments
我が国では、医師数の制限を、医学部医学科の入学定員でコントロールしています。これは、何を意味するかといえば、医師国家試験の合格率も全国平均で90%ぐらいあることや、留年率も、国立なら、5%ぐらいではないかと思いますので、医学部医学科に入学してしまえば、90%近い確率で医師になれるということが保証されているということなっているわけです。
もちろん、ものごとには良い面、悪い面がありますから、いい面もあります。
医学部に入って、医師をめざす学生たちの一部に、医師になるという意欲や動機について、?がある学生が少なくありません。もちろん、いい学生がたくさんいますから、大丈夫です。ほんの一部の学生です。割合で言えば、10%以下と思います。私が、毎日、心を痛めているのは、このような学生の中に、将来90%以上の確率で医師になることが社会から保証されていることについて、十分に理解が足りない学生がいることです。
繰り返しますが、ほとんどの医学生は、よい学生だと信じていますし、実際、何も問題はありません。
私は、この仕事をしてきて、新しい教育方法なども実際に担当してみて、数年前から、この一部の学生を客観的に見つけ出すことができることに気付きました。そして、毎回、新しい学年にそのことを当てはめていますが、うまくできます。ただ、このことは、この大学で、私が初めて気付いたのではなくて、すでに、他の科目の主任教授の先生方の中に、それぞれの担当科目の授業や評価の中で、そのスキルを身につけておられる先生がおられます。
でも、これらの評価方法は、やはり、1年以上継続して、学生たちの医学学習の経過をみながら、その成果をもとに行動や価値観を判定することができるように、評価を蓄積して解析することで可能になっていることなのです。
データとして収集しているものは、ペーパーテストの、単純記憶能力だけではありません。テストでは、単純記憶量だけでなく、論理性を問う問題もたくさん出題しています。レントゲン写真や血液検査の結果を解釈する能力も評価しています。さらには、遅刻や欠席、Tutorとしての教員からの評価や同級生の学生同士の評価などもあります。
このように、様々なパラメーターを収集しているのは、ペーパーテストで実施されている医師国家試験だけが医学教育の目標ではないと思っているからです。そして、残念ながら、一発勝負で、医学と直接関係のない科目のペーパーテストによる、現状の入試では、それは、不可能なのです。(きちんとしたAO入試なら可能と思います。でも、それには、最低1週間は試験期間が必要です)
なので、今の入試制度では、不合格になった学生の中に、医学生として、良いポテンシャルを秘めた学生がいるはずだし(例えば、現役で不合格、一浪で合格になった学生の中には、凄い医学学習の能力を発揮する学生がいます。現役で不合格になったのが不思議な気がします。浪人の間に成長したのかもしれませんが)、合格になった学生の中に、残念だけれども、ほんの一部だけれども、不合格になった学生にその入学の権利を譲ってもらいたいとさえ思ってしまう学生がいるという現実があるからです。
でも、落第させにくいのです。そういう学生でも、医師になるとしてカウントされているからということもあります。
前のページに質問のコメントをいただいていますので、それに答えます。
「学生の数を絞り込む中で、小さなころから勉強してきた人つまり進学校の人の方がIQが高く有利ではないかということ。これでは今と大して変わらないのではということ。」
単なるペーパーテストの評価だけで、表面的な暗記量だけを測定して、評価するのではありません。いわゆる「受験偏差値」での評価ではありません。様々な評価軸を組み合わせて評価します。価値観や行動指針を評価したいと考えて、それらの結果としての行動結果を評価したいと考えています。ご指摘通り、大学受験と同じことをするのであれば、全く意味はありません。
「医学生を相手にした受験産業が栄えるのでは」
最初の質問にお答えしましたように、単なる表面的な評価を繰り返すつもりはありません。だから、いわゆる受験産業が栄えることはないと思いますが、もちろん、学生たちが自主的に、大学以外の場所でも、自らを成長させるために努力することは、よいことだと、思いますので、それを”受験産業”と呼ぶのかどうかはわかりません。
「医学部に入学できたのに卒業できない学生の進路」
これは、この制度の最大の問題点です。以前にも、このアイデアについては、このブログで書いており、そのとき、大きな2つの問題点があると書きました。1つが、このご指摘の点です。医学部に入学できたのに、卒業できない、という、たくさんの(気の毒な?)学生が生まれます。医師として優れた若い医師たちを養成するために。欧米では当然のことなのですが、日本では教育において、今まで、このようなことがなかったので、社会にも、こういう学生を受け入れる素地がないように見えます。入学を許可しておいて、途中で放り出すのは無責任かもしれません。入試で不合格になる、優秀な受験生のための制度が、実は、入学後の成果によって、大学から放り出される学生を生んでしまいます。
でも、私は、よい医師をめざして、一生懸命にがんばって、そして、すばらしい成果を生み出す医学生に対して、より大きな責任を持っていると思っています。それが、社会のため、患者さんたちのためになると思っています。医学教育と言う仕事をしている私に課せられた社会的使命は、将来のよい医師を生み出すことであり、不適切な医師を出さないことであると思っています。
途中で、医師になる夢をあきらめてもらう医学生たちですが、自分たちの行動の結果であり、でも、その夢をかなえるチャンスは現状よりも広がっての最終結果ですし、現状より悪いということはないと信じています。これが、今より、フェアな形だと社会が容認してもらえたらと思っています。
もう一つの、この方法の問題点は、「医学教育にかける社会的コストが高くなる」ということかなと思います。学生数が増えますし、緻密な評価を長期間にわたって継続して行いますから、人的資源も、大学のリソースもかなり消費します。IT技術を用いて、効率よくできるようにしていますが、やはり、よい教育には、手間がかかってしまいます。その点を、社会が容認してくれるかどうか、ということが、2つめの問題点です。(007さんが、ご指摘のとおり、現状のやり方でも、90%以上の医師は、よい医師なので)
でも、(ほんの一割以下の)よくない医師の代わりに、偏差値重視の医学部受験で涙をのんだ、でも、医師としての素養には勝っている受験生を医師にしていくことができればなあって、入試の結果をみながら、思っています。
ということで、私のアイデアを、詳しく述べさせてもらいました。実際には、この国の政策の基本から変えないと無理だと思いますので、単なる思いつきのレベルを超えられませんが。
ご質問をコメントにたくさんいただくので、新たにページを立てて、このアイデアについて、考えてみたいと思います。
元のページは、以下のページです。
http://nakaikeiji.livedoor.biz/archives/51516902.html#comments
我が国では、医師数の制限を、医学部医学科の入学定員でコントロールしています。これは、何を意味するかといえば、医師国家試験の合格率も全国平均で90%ぐらいあることや、留年率も、国立なら、5%ぐらいではないかと思いますので、医学部医学科に入学してしまえば、90%近い確率で医師になれるということが保証されているということなっているわけです。
もちろん、ものごとには良い面、悪い面がありますから、いい面もあります。
医学部に入って、医師をめざす学生たちの一部に、医師になるという意欲や動機について、?がある学生が少なくありません。もちろん、いい学生がたくさんいますから、大丈夫です。ほんの一部の学生です。割合で言えば、10%以下と思います。私が、毎日、心を痛めているのは、このような学生の中に、将来90%以上の確率で医師になることが社会から保証されていることについて、十分に理解が足りない学生がいることです。
繰り返しますが、ほとんどの医学生は、よい学生だと信じていますし、実際、何も問題はありません。
私は、この仕事をしてきて、新しい教育方法なども実際に担当してみて、数年前から、この一部の学生を客観的に見つけ出すことができることに気付きました。そして、毎回、新しい学年にそのことを当てはめていますが、うまくできます。ただ、このことは、この大学で、私が初めて気付いたのではなくて、すでに、他の科目の主任教授の先生方の中に、それぞれの担当科目の授業や評価の中で、そのスキルを身につけておられる先生がおられます。
でも、これらの評価方法は、やはり、1年以上継続して、学生たちの医学学習の経過をみながら、その成果をもとに行動や価値観を判定することができるように、評価を蓄積して解析することで可能になっていることなのです。
データとして収集しているものは、ペーパーテストの、単純記憶能力だけではありません。テストでは、単純記憶量だけでなく、論理性を問う問題もたくさん出題しています。レントゲン写真や血液検査の結果を解釈する能力も評価しています。さらには、遅刻や欠席、Tutorとしての教員からの評価や同級生の学生同士の評価などもあります。
このように、様々なパラメーターを収集しているのは、ペーパーテストで実施されている医師国家試験だけが医学教育の目標ではないと思っているからです。そして、残念ながら、一発勝負で、医学と直接関係のない科目のペーパーテストによる、現状の入試では、それは、不可能なのです。(きちんとしたAO入試なら可能と思います。でも、それには、最低1週間は試験期間が必要です)
なので、今の入試制度では、不合格になった学生の中に、医学生として、良いポテンシャルを秘めた学生がいるはずだし(例えば、現役で不合格、一浪で合格になった学生の中には、凄い医学学習の能力を発揮する学生がいます。現役で不合格になったのが不思議な気がします。浪人の間に成長したのかもしれませんが)、合格になった学生の中に、残念だけれども、ほんの一部だけれども、不合格になった学生にその入学の権利を譲ってもらいたいとさえ思ってしまう学生がいるという現実があるからです。
でも、落第させにくいのです。そういう学生でも、医師になるとしてカウントされているからということもあります。
前のページに質問のコメントをいただいていますので、それに答えます。
「学生の数を絞り込む中で、小さなころから勉強してきた人つまり進学校の人の方がIQが高く有利ではないかということ。これでは今と大して変わらないのではということ。」
単なるペーパーテストの評価だけで、表面的な暗記量だけを測定して、評価するのではありません。いわゆる「受験偏差値」での評価ではありません。様々な評価軸を組み合わせて評価します。価値観や行動指針を評価したいと考えて、それらの結果としての行動結果を評価したいと考えています。ご指摘通り、大学受験と同じことをするのであれば、全く意味はありません。
「医学生を相手にした受験産業が栄えるのでは」
最初の質問にお答えしましたように、単なる表面的な評価を繰り返すつもりはありません。だから、いわゆる受験産業が栄えることはないと思いますが、もちろん、学生たちが自主的に、大学以外の場所でも、自らを成長させるために努力することは、よいことだと、思いますので、それを”受験産業”と呼ぶのかどうかはわかりません。
「医学部に入学できたのに卒業できない学生の進路」
これは、この制度の最大の問題点です。以前にも、このアイデアについては、このブログで書いており、そのとき、大きな2つの問題点があると書きました。1つが、このご指摘の点です。医学部に入学できたのに、卒業できない、という、たくさんの(気の毒な?)学生が生まれます。医師として優れた若い医師たちを養成するために。欧米では当然のことなのですが、日本では教育において、今まで、このようなことがなかったので、社会にも、こういう学生を受け入れる素地がないように見えます。入学を許可しておいて、途中で放り出すのは無責任かもしれません。入試で不合格になる、優秀な受験生のための制度が、実は、入学後の成果によって、大学から放り出される学生を生んでしまいます。
でも、私は、よい医師をめざして、一生懸命にがんばって、そして、すばらしい成果を生み出す医学生に対して、より大きな責任を持っていると思っています。それが、社会のため、患者さんたちのためになると思っています。医学教育と言う仕事をしている私に課せられた社会的使命は、将来のよい医師を生み出すことであり、不適切な医師を出さないことであると思っています。
途中で、医師になる夢をあきらめてもらう医学生たちですが、自分たちの行動の結果であり、でも、その夢をかなえるチャンスは現状よりも広がっての最終結果ですし、現状より悪いということはないと信じています。これが、今より、フェアな形だと社会が容認してもらえたらと思っています。
もう一つの、この方法の問題点は、「医学教育にかける社会的コストが高くなる」ということかなと思います。学生数が増えますし、緻密な評価を長期間にわたって継続して行いますから、人的資源も、大学のリソースもかなり消費します。IT技術を用いて、効率よくできるようにしていますが、やはり、よい教育には、手間がかかってしまいます。その点を、社会が容認してくれるかどうか、ということが、2つめの問題点です。(007さんが、ご指摘のとおり、現状のやり方でも、90%以上の医師は、よい医師なので)
でも、(ほんの一割以下の)よくない医師の代わりに、偏差値重視の医学部受験で涙をのんだ、でも、医師としての素養には勝っている受験生を医師にしていくことができればなあって、入試の結果をみながら、思っています。
ということで、私のアイデアを、詳しく述べさせてもらいました。実際には、この国の政策の基本から変えないと無理だと思いますので、単なる思いつきのレベルを超えられませんが。
2009年02月26日
先日、行われた第103回医師国家試験を受験した6年生が、あいさつに来てくれたので、試験の出題傾向やその対策方法などについて、いろいろ、尋ねてみました。
「やっぱり、全然、傾向が違っていたの?」
「そうです、先生。全く、違っていました。第101回や100回などとは全然違います。102回とも違うように思いました。無茶苦茶な順番で出題されたのは、僕にとっては、別にそれでよかったですが、面食らった学生も多かったみたいです。」
「そう、それは、大変だったね。そういう試験の対策は、どうすればいいと思う?」
「そうですね。結局、過去問ばかりを解いて覚えるのではなくて、やはり、実際の医療の様子をしっかりと経験して、そのとき、そのとき、医師が何を考えて、何を選択するのか、を、知るのが必要かと思いました。」
臨床実習において、医師がやっていることをみて、なぜ、そうするのか、どうしてそうなるのか、何を考えているのか、と、問題意識をもって、積極的に学ぶことが大事と言うことですね。ただ、ぼ〜と、そばに立っているだけではだめ、ということでしょう。
クリニカルクラークシップ(診療参加型臨床実習)ですからね。
来年、第104回を受ける5年生たち、しっかりと、臨床実習に取り組んでおいてください。
何度もいいますが、医師国家試験に合格することは、医学を学ぶ、最低限の目標であり、それだけを最終目標にして、医学学習に取り組むことでは、全く、十分ではありません。そういうことですね。
しかし、臨床現場で学ぶというのは、実は、鋭い観察力、深い洞察力、そして的確な思考力が必要です。もちろん、そのためには、正確な医学知識も欠かせません。同じ診療場面を経験しても、個々の学生の持つ学力によって、自ずから、感じられるものも、得られるものも違ってくる、そういうもののようです。
ということから、臨床実習を受けながら、学生同士で、あれこれと、討論をして、意見交換、情報共有をしていくプロセスが大事かもしれません。「三人寄れば文殊の知恵」とはいいますが、それぞれ、別の方向から、違った価値観で見ているということにより、自分では気付かなかったものに気付くことができる、ということでしょう。
「やっぱり、全然、傾向が違っていたの?」
「そうです、先生。全く、違っていました。第101回や100回などとは全然違います。102回とも違うように思いました。無茶苦茶な順番で出題されたのは、僕にとっては、別にそれでよかったですが、面食らった学生も多かったみたいです。」
「そう、それは、大変だったね。そういう試験の対策は、どうすればいいと思う?」
「そうですね。結局、過去問ばかりを解いて覚えるのではなくて、やはり、実際の医療の様子をしっかりと経験して、そのとき、そのとき、医師が何を考えて、何を選択するのか、を、知るのが必要かと思いました。」
臨床実習において、医師がやっていることをみて、なぜ、そうするのか、どうしてそうなるのか、何を考えているのか、と、問題意識をもって、積極的に学ぶことが大事と言うことですね。ただ、ぼ〜と、そばに立っているだけではだめ、ということでしょう。
クリニカルクラークシップ(診療参加型臨床実習)ですからね。
来年、第104回を受ける5年生たち、しっかりと、臨床実習に取り組んでおいてください。
何度もいいますが、医師国家試験に合格することは、医学を学ぶ、最低限の目標であり、それだけを最終目標にして、医学学習に取り組むことでは、全く、十分ではありません。そういうことですね。
しかし、臨床現場で学ぶというのは、実は、鋭い観察力、深い洞察力、そして的確な思考力が必要です。もちろん、そのためには、正確な医学知識も欠かせません。同じ診療場面を経験しても、個々の学生の持つ学力によって、自ずから、感じられるものも、得られるものも違ってくる、そういうもののようです。
ということから、臨床実習を受けながら、学生同士で、あれこれと、討論をして、意見交換、情報共有をしていくプロセスが大事かもしれません。「三人寄れば文殊の知恵」とはいいますが、それぞれ、別の方向から、違った価値観で見ているということにより、自分では気付かなかったものに気付くことができる、ということでしょう。
2009年02月17日
第103回医師国家試験を受けた6年生のコメントが集まってきたので、紹介します。
「体力的にしんどかった」
医師国家試験は、土曜日、日曜日、月曜日と、計3日間続きます。500問ぐらいの問題を解きます。これは、頭脳だけでなく、身体的にも厳しい試練ではないでしょうか。また、試験会場には、やはり、独特のムードが漂っており、このムードにも流されない精神力も求められていると言っている6年生がいました。実際、そのような効果が、狙ってのことなのかどうかはわかりませんが。
「例年と異なり、難しかった」
これは、ほぼ、全ての6年生が言っています。問題の内容、出題順序など、いろいろ、変化があって、とまどった学生も多かったようです。でも、きちんと本質をとらえて勉強をしている学生にとっては、別に、出題順序などは問題ないので、逆に有利かとも思いました。うちの学生たちは、大丈夫でしょう。
「鑑別診断を挙げることは、とても大事」
医師国家試験では、試験問題を難しくする、正答率を下げる、ためには、大きく分けて、2つの方向性があると思っています。なんのために難しくするのか、という問題がありますが、それは、あとで述べることとして、正答率を下げるための方法の1つは、あまり一般的でない疾患をとりあげることです。過去問の問題集にもないような。これは、正答率が低くなりますよね。でも、稀な病気の知識ばかり勉強されても困りますので、あまり、正攻法ではありません。
2つめの方法は、とりあげる疾患は一般的なものにして、でも、問題文にあげられている情報量を絞り、あれこれと考えさせる問題です。鑑別診断を考えさせる問題ということになるでしょうか。これは、「考えさせる問題」「考える能力を判定できる問題」として、より、妥当性がありそうです。なんのために、正答率を下げるのか、という目的論的にもよい方向性と思います。ただし、きちんと吟味しての工夫をしないと、非現実的な出題内容になってしまうかもしれません。つまり、奇問系になる危険性があります。今年は、このような問題が多かったとの感想でした。なので、「採点除外問題が多いかも」という意見もありますね。
このことについて、ある、優秀な6年生の方からは、
「鑑別診断をあげることは、とても大事だと思いました。友人たちの間では、出題の順序がバラバラなのも含めて、鑑別診断重視の方向性を、”国試のプライマリケア化”と名付けています。」
とのコメントをもらっています。プライマリケア重視の方向性は、卒後臨床研修必修化やクリニカルクラークシップとチュトリアル教育の広がりと流れを1つにしたものだと思っています。アメリカのUSMLEに似てきていると言えばいいでしょうか。
3年生のチュトリアル教育から、病態メカニズムや臨床推論、鑑別診断を学ぶように、と、いろいろ工夫を重ねている、医学教育担当の教員として、好ましい方向性だ、望む所だ、と思っています。
「復習の国試」
これも、その6年生の方が言っていましたが、1日目に出た問題とよく似た問題が、3日目に出たりしていたそうです。ということで、1日目、2日目の夜、昼間出た問題をきちんと見直して、復習しておくことが大事だと思ったとのことでした。
実は、このことは、数年前、第100回の頃から、私も気付いていまして、6年生たちにはいつも言ってきています。「試験期間中の見直しが、とても大事だよ」
でも、これって、医師としての基本的な姿勢ですね。「患者さんの診療でわからなかったことに出会ったら、きちんと調べ直して、学び直しておく」この繰り返しが、名医への道だと思っています。「名医は一日にして成らず」です。
医師国家試験、いろいろ、工夫されているようです。
「体力的にしんどかった」
医師国家試験は、土曜日、日曜日、月曜日と、計3日間続きます。500問ぐらいの問題を解きます。これは、頭脳だけでなく、身体的にも厳しい試練ではないでしょうか。また、試験会場には、やはり、独特のムードが漂っており、このムードにも流されない精神力も求められていると言っている6年生がいました。実際、そのような効果が、狙ってのことなのかどうかはわかりませんが。
「例年と異なり、難しかった」
これは、ほぼ、全ての6年生が言っています。問題の内容、出題順序など、いろいろ、変化があって、とまどった学生も多かったようです。でも、きちんと本質をとらえて勉強をしている学生にとっては、別に、出題順序などは問題ないので、逆に有利かとも思いました。うちの学生たちは、大丈夫でしょう。
「鑑別診断を挙げることは、とても大事」
医師国家試験では、試験問題を難しくする、正答率を下げる、ためには、大きく分けて、2つの方向性があると思っています。なんのために難しくするのか、という問題がありますが、それは、あとで述べることとして、正答率を下げるための方法の1つは、あまり一般的でない疾患をとりあげることです。過去問の問題集にもないような。これは、正答率が低くなりますよね。でも、稀な病気の知識ばかり勉強されても困りますので、あまり、正攻法ではありません。
2つめの方法は、とりあげる疾患は一般的なものにして、でも、問題文にあげられている情報量を絞り、あれこれと考えさせる問題です。鑑別診断を考えさせる問題ということになるでしょうか。これは、「考えさせる問題」「考える能力を判定できる問題」として、より、妥当性がありそうです。なんのために、正答率を下げるのか、という目的論的にもよい方向性と思います。ただし、きちんと吟味しての工夫をしないと、非現実的な出題内容になってしまうかもしれません。つまり、奇問系になる危険性があります。今年は、このような問題が多かったとの感想でした。なので、「採点除外問題が多いかも」という意見もありますね。
このことについて、ある、優秀な6年生の方からは、
「鑑別診断をあげることは、とても大事だと思いました。友人たちの間では、出題の順序がバラバラなのも含めて、鑑別診断重視の方向性を、”国試のプライマリケア化”と名付けています。」
とのコメントをもらっています。プライマリケア重視の方向性は、卒後臨床研修必修化やクリニカルクラークシップとチュトリアル教育の広がりと流れを1つにしたものだと思っています。アメリカのUSMLEに似てきていると言えばいいでしょうか。
3年生のチュトリアル教育から、病態メカニズムや臨床推論、鑑別診断を学ぶように、と、いろいろ工夫を重ねている、医学教育担当の教員として、好ましい方向性だ、望む所だ、と思っています。
「復習の国試」
これも、その6年生の方が言っていましたが、1日目に出た問題とよく似た問題が、3日目に出たりしていたそうです。ということで、1日目、2日目の夜、昼間出た問題をきちんと見直して、復習しておくことが大事だと思ったとのことでした。
実は、このことは、数年前、第100回の頃から、私も気付いていまして、6年生たちにはいつも言ってきています。「試験期間中の見直しが、とても大事だよ」
でも、これって、医師としての基本的な姿勢ですね。「患者さんの診療でわからなかったことに出会ったら、きちんと調べ直して、学び直しておく」この繰り返しが、名医への道だと思っています。「名医は一日にして成らず」です。
医師国家試験、いろいろ、工夫されているようです。
2009年02月13日
医学科5年生の臨床実習への進級要件とされる、医学科4年生の共用試験CBTが、本日、おこなれましたが、無事に終了しました。さきほど、学生全員の答案データをCD-Rにコピーし、東京の実施機構に送付する手はずを完了させました。
正確には、いくつかのトラブルがありましたが、最終的に、予定通りに終わりました、というのが正しいのかな。コンピュータを使った試験ですから、結局、機械ですので、なにがあるかわからない、というリスクがあります。100台ものコンピュータが同時にきちんと動くか、サーバとちゃんと通信できるか、運営担当の教員としては、本当に心配の種がつきません。
去年は、朝から、急な降雪と積雪で、試験開始時間を、急遽、1時間遅らせるなど、ハプニングもありました。「人事を全うして天命を待つ」とは、うまく言ったものですね。でも、それに動揺することなく、去年の4年生たちは、すばらしい成績をマークしてくれました。うれしかったです。
今日、一人も欠席も遅刻もなく、万全の体調管理に安堵した所です。今年の4年生たちも、しっかりと勉強に取り組んできていましたので、彼らの実力がきちんと発揮されて、正しく評価されるように、と、念じるような気持ちで、こちらも、準備とサポートをしてきました。
この試験、当の学生たちが一番、結果が気になると思いますが、実は、教育担当の教員としても、その結果がとても気になるものです。「テストなんて、一部の表面的な能力の評価でしかない!」って、いつも、学生たちには言いつつ。共用試験CBTは、通常のペーパテストではないので、かなり、いろいろ、工夫がなされており、いつも、感服しています。
今年の4年生はどうでしょうか。
インターネットでの他大学の学生の感想からは、なかなか、今年のCBTは手強い、との情報もありましたが、今日、朝9時前から、6時間以上に及ぶ試験が終了した後の、うちの学生たちの表情をみていると、今年も、例年通り、よい成績であるような気がします。
みなさん、お疲れさま。私も疲れました。
正確には、いくつかのトラブルがありましたが、最終的に、予定通りに終わりました、というのが正しいのかな。コンピュータを使った試験ですから、結局、機械ですので、なにがあるかわからない、というリスクがあります。100台ものコンピュータが同時にきちんと動くか、サーバとちゃんと通信できるか、運営担当の教員としては、本当に心配の種がつきません。
去年は、朝から、急な降雪と積雪で、試験開始時間を、急遽、1時間遅らせるなど、ハプニングもありました。「人事を全うして天命を待つ」とは、うまく言ったものですね。でも、それに動揺することなく、去年の4年生たちは、すばらしい成績をマークしてくれました。うれしかったです。
今日、一人も欠席も遅刻もなく、万全の体調管理に安堵した所です。今年の4年生たちも、しっかりと勉強に取り組んできていましたので、彼らの実力がきちんと発揮されて、正しく評価されるように、と、念じるような気持ちで、こちらも、準備とサポートをしてきました。
この試験、当の学生たちが一番、結果が気になると思いますが、実は、教育担当の教員としても、その結果がとても気になるものです。「テストなんて、一部の表面的な能力の評価でしかない!」って、いつも、学生たちには言いつつ。共用試験CBTは、通常のペーパテストではないので、かなり、いろいろ、工夫がなされており、いつも、感服しています。
今年の4年生はどうでしょうか。
インターネットでの他大学の学生の感想からは、なかなか、今年のCBTは手強い、との情報もありましたが、今日、朝9時前から、6時間以上に及ぶ試験が終了した後の、うちの学生たちの表情をみていると、今年も、例年通り、よい成績であるような気がします。
みなさん、お疲れさま。私も疲れました。
2009年01月31日
入試シーズンなので、入試のテーマになってしまいます。
でも、特定の大学の特定の入試について述べているのではなくて、一般的な話ですので、よろしくお願いします。
先日、我が国で行われているAO入試の不思議さについても書きましたが、この入試にしろ、面接や小論文にしろ、多様な入試選抜の実施が求められていますね。その結果としてのAO入試であり、面接やグループ討論などであると思います。
で、その背景には、現状の入試制度の問題があるということですよね。その改善のために、多様な入試選抜制度が求められていると、こういうことでしょう。
「現状の、日本の大学入試は、客観性(再現性・平等性)を最優先に求めるあまりに、結果としてペーパーテスト重視、偏差値偏重になってしまった」、そのような評価方法には「妥当性」が劣るのではないか。たとえば、「医学部入学選抜で、数学の偏差値を重視して選ぶと、医師としての人格、人間性についての評価が不十分なのではないか」という指摘があるわけです。その問題認識は、私も共有しています。実際に、うちの大学を選んできてくれている学生たちをみていても、そのことを感じます。国立大学医学部医学科の入試ボーダー偏差値は高すぎると思います。また、理数系の評価偏重過ぎ、とも思います。
ひいては、「日本の医師や医学のレベルが、(もし不満足なものであるなら)、その原因は入試選抜にある」とまで、言われてしまう。この点は、私は、別の考えがあります。
でも、この理由は、入試制度だけが原因でしょうか。他に原因はないのでしょうか。入学後のカリキュラムも含めた、この国の大学教育に、本質的な問題があるのではないか、と思っています。
というのは、表面的に、「多面的な入試選抜」を行っても、「入学した学生のレベルが低い」「多面的な入試選抜制度には客観性があるのか」という批判があり、さらには、「多面的な入試選抜方法に、そもそも妥当性があるのか」という声すらでてきます。そして、「多面的な入試選抜は失敗だった」との評価になってしまう。それに、そもそも、そういう入試選抜制度がメインにはならない。あくまでも、オプション的だったりする。
入試選抜制度に、完璧なものはないのではないか。完璧な「客観性」と「妥当性」がある評価方法なんて、実現不可能なのではないか。だから、その求められる程度を、100%の完璧から、落として行かねばならない、しかも、「客観性」を落とすのは難しいから、「妥当性」のほうを我慢して、「客観性」を重視する結果になっているのですね。
なぜ、「客観性」が重視されるのか。
それは、入学した学生のほとんどが、そのまま卒業できるからです。医学部医学科でいえば、医師となるにあたり、最大の難関は、実は医学部医学科入試です。国立大学であれば、入学してしまえば、ほぼ90%近い確率で医師になれます。そこに本質的な問題があるのだと思っています。
このメリットは、医学部や大学教育にかける社会的負担が小さくてすむ、ということなのかなあ。よく、日本の大学教育の社会的コストは、欧米の先進国の数分の一、そして、先進国ではない国よりも少ない、と言われていますが、それは、それだけ安いコストで高等教育が実施できている、ということですよね。
しかし。
「完璧な入試選抜制度は存在しない」という前提にまずたち、そのためには、入学後の教育カリキュラム、そして、進級・卒業判定をしっかりとやっていく。
(高校生の数学や物理の成績をもとに、しかも、1回の試験で、医師としての適性をみるよりも、医学部入学後、医学を学ぶ姿を長期間観察して何度も評価する、方が、より「妥当性」がある評価に近づくと思いませんか。もちろん、「信頼性」もある一定のレベルにできる自信があります。1回の入試の面接よりも、もっと長期にわたり、複数の教員が、各学生の様子を見て行く方がより「信頼性」もあります。これを、「入学後のAO入試」と、以前に書きましたが、そもそも、本来のAO入試は、大学教育カリキュラムの先取り「仮入学」のようなものなので、当然ですね。)
大学教育、卒前教育をきちんとやるのであれば、入試定員枠を広げることが可能となり、医学部に入学できるチャンスも広がり(卒業できるかどうか、医師になれるかどうか、の確率は低下するかもしれないが)、受験生にもメリットがある。
医学部だけでなく、大学の入学定員枠は各大学が自由にできず、厳密に運用されているので、実は、なかなか、簡単ではありません。100人の入学定員なら、100人の卒業定員ということになっています。
うちの大学で言えば、きちんとした卒前教育の実施はほぼできている(自画自賛だなあ。笑)ので、あとは、「転向した方がよいと評価された医学生への適切な支援」ということになります。実は、ここが一番難しいのかも。でも、理数系に優秀な学生なら、やはり、物理学や経済学の分野に進んでもらうほうが、社会にとっても人類にとっても、プラスではないかと思います。医師としての適性には合致しないのであれば。
でも、特定の大学の特定の入試について述べているのではなくて、一般的な話ですので、よろしくお願いします。
先日、我が国で行われているAO入試の不思議さについても書きましたが、この入試にしろ、面接や小論文にしろ、多様な入試選抜の実施が求められていますね。その結果としてのAO入試であり、面接やグループ討論などであると思います。
で、その背景には、現状の入試制度の問題があるということですよね。その改善のために、多様な入試選抜制度が求められていると、こういうことでしょう。
「現状の、日本の大学入試は、客観性(再現性・平等性)を最優先に求めるあまりに、結果としてペーパーテスト重視、偏差値偏重になってしまった」、そのような評価方法には「妥当性」が劣るのではないか。たとえば、「医学部入学選抜で、数学の偏差値を重視して選ぶと、医師としての人格、人間性についての評価が不十分なのではないか」という指摘があるわけです。その問題認識は、私も共有しています。実際に、うちの大学を選んできてくれている学生たちをみていても、そのことを感じます。国立大学医学部医学科の入試ボーダー偏差値は高すぎると思います。また、理数系の評価偏重過ぎ、とも思います。
ひいては、「日本の医師や医学のレベルが、(もし不満足なものであるなら)、その原因は入試選抜にある」とまで、言われてしまう。この点は、私は、別の考えがあります。
でも、この理由は、入試制度だけが原因でしょうか。他に原因はないのでしょうか。入学後のカリキュラムも含めた、この国の大学教育に、本質的な問題があるのではないか、と思っています。
というのは、表面的に、「多面的な入試選抜」を行っても、「入学した学生のレベルが低い」「多面的な入試選抜制度には客観性があるのか」という批判があり、さらには、「多面的な入試選抜方法に、そもそも妥当性があるのか」という声すらでてきます。そして、「多面的な入試選抜は失敗だった」との評価になってしまう。それに、そもそも、そういう入試選抜制度がメインにはならない。あくまでも、オプション的だったりする。
入試選抜制度に、完璧なものはないのではないか。完璧な「客観性」と「妥当性」がある評価方法なんて、実現不可能なのではないか。だから、その求められる程度を、100%の完璧から、落として行かねばならない、しかも、「客観性」を落とすのは難しいから、「妥当性」のほうを我慢して、「客観性」を重視する結果になっているのですね。
なぜ、「客観性」が重視されるのか。
それは、入学した学生のほとんどが、そのまま卒業できるからです。医学部医学科でいえば、医師となるにあたり、最大の難関は、実は医学部医学科入試です。国立大学であれば、入学してしまえば、ほぼ90%近い確率で医師になれます。そこに本質的な問題があるのだと思っています。
このメリットは、医学部や大学教育にかける社会的負担が小さくてすむ、ということなのかなあ。よく、日本の大学教育の社会的コストは、欧米の先進国の数分の一、そして、先進国ではない国よりも少ない、と言われていますが、それは、それだけ安いコストで高等教育が実施できている、ということですよね。
しかし。
「完璧な入試選抜制度は存在しない」という前提にまずたち、そのためには、入学後の教育カリキュラム、そして、進級・卒業判定をしっかりとやっていく。
(高校生の数学や物理の成績をもとに、しかも、1回の試験で、医師としての適性をみるよりも、医学部入学後、医学を学ぶ姿を長期間観察して何度も評価する、方が、より「妥当性」がある評価に近づくと思いませんか。もちろん、「信頼性」もある一定のレベルにできる自信があります。1回の入試の面接よりも、もっと長期にわたり、複数の教員が、各学生の様子を見て行く方がより「信頼性」もあります。これを、「入学後のAO入試」と、以前に書きましたが、そもそも、本来のAO入試は、大学教育カリキュラムの先取り「仮入学」のようなものなので、当然ですね。)
大学教育、卒前教育をきちんとやるのであれば、入試定員枠を広げることが可能となり、医学部に入学できるチャンスも広がり(卒業できるかどうか、医師になれるかどうか、の確率は低下するかもしれないが)、受験生にもメリットがある。
医学部だけでなく、大学の入学定員枠は各大学が自由にできず、厳密に運用されているので、実は、なかなか、簡単ではありません。100人の入学定員なら、100人の卒業定員ということになっています。
うちの大学で言えば、きちんとした卒前教育の実施はほぼできている(自画自賛だなあ。笑)ので、あとは、「転向した方がよいと評価された医学生への適切な支援」ということになります。実は、ここが一番難しいのかも。でも、理数系に優秀な学生なら、やはり、物理学や経済学の分野に進んでもらうほうが、社会にとっても人類にとっても、プラスではないかと思います。医師としての適性には合致しないのであれば。
2009年01月22日
オバマ大統領ネタで続けます。
ニュースをみていますと、キング牧師の有名な演説が紹介されますね。
「I have a dream」
という、例の。とてもすばらしい演説だということで、インターネットで原文を読んでみました。
I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.
(私には夢がある。私の四人の幼い子ども達が、いつの日か、肌の色ではなく人格そのものによって評価される国に住めるようになるという夢が。)
この演説は、「color of their skin」での評価が非合理であることを言いたいのであり、その対極としての「content of their character」についてしっかりと述べているものではないとは思います。でも、私も、医師国家試験でも、大学の医学部受験にも、そして、毎日の医学生を評価する仕事にも、あてはまることだと思いますが、そうやって、キング牧師が言うように、人間を評価するときに、「content(中身)」を評価できないものかと、この仕事をしながら、ずっと思う気持ちがあります。
もちろん、日本の医学部や医師国家試験が、「皮膚の色」など、人種差別があるわけはありません。(もしかしたら、大学によっては、「年齢」や「性」での差別があるかもしれないし、ないかもしれない。うちの大学ではありません。でも、うちの大学も含めて、日本のほとんどの医学部で、「居住地」での区別が、特別に、限定的に、導入されましたが。でも、医療サービスが十分に行き届かない居住地を、部分的に、特別扱いするのは非合理とは言えないかも。差別を受けてきた人たちに特別な配慮をするのと同様かなあ。)
そうではなくて、私が感じているのは、「content」の評価ができないものかと思うのです。どういうことかといえば、日本の現状は、ペーパーテストなど「客観性」のある評価を重視するあまり、「content」の評価が十分ではないのではないかと、このように感じているからです。先日から、このことについて、ずっと考えています。
でも、私の心の中には、もう一つの対立軸を持っています。
「content、特に、content of their characterによる評価を行うことができるのだろうか」ということ、言い換えれば、「content of their characterによる評価で、十分な妥当性があって、かつ、信頼できる客観性がある方法があるだろうか」ということです。人間には到底無理で、神様(もちろん、宗教的な意味ではなくて、絶対的な価値観のことね)にしかできない「神業」でないのか。さらに、すすめて、「content of their characterによる評価が、実際に行われたら、そこは、理想的な教育現場なのだろうか」ということです。もしかして、公民権運動の成果が達成される前の「暗黒の時代」かもしれないということです。
このことについて、誰か、答えをお持ちではないでしょうか。
私が、この仕事を6年以上してきて、わかってきたのは、現状では、「content of their characterによる評価は困難である」が、「content of their characterに基づく価値判断や行動結果をもとに、contentを評価する」ことはできるかもしれないと思っています。
「content of their characterによる評価」は、テレパシーか、読心術でも使わない限り、困難であろう、と思うのです。とても、客観性のある測定ができるとは思えないのです。なぜなら、それ自体が内在的で、抽象的、だからです。
だけど、内面的なcontent of their characterが外形的、表面的に見える状態になるとすれば、それは、「content of their characterに基づく価値判断や行動結果」かなと思います。それを、客観的に測定することはできるかもと、いろいろ、試行錯誤を続けています。
ニュースをみていますと、キング牧師の有名な演説が紹介されますね。
「I have a dream」
という、例の。とてもすばらしい演説だということで、インターネットで原文を読んでみました。
I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.
(私には夢がある。私の四人の幼い子ども達が、いつの日か、肌の色ではなく人格そのものによって評価される国に住めるようになるという夢が。)
この演説は、「color of their skin」での評価が非合理であることを言いたいのであり、その対極としての「content of their character」についてしっかりと述べているものではないとは思います。でも、私も、医師国家試験でも、大学の医学部受験にも、そして、毎日の医学生を評価する仕事にも、あてはまることだと思いますが、そうやって、キング牧師が言うように、人間を評価するときに、「content(中身)」を評価できないものかと、この仕事をしながら、ずっと思う気持ちがあります。
もちろん、日本の医学部や医師国家試験が、「皮膚の色」など、人種差別があるわけはありません。(もしかしたら、大学によっては、「年齢」や「性」での差別があるかもしれないし、ないかもしれない。うちの大学ではありません。でも、うちの大学も含めて、日本のほとんどの医学部で、「居住地」での区別が、特別に、限定的に、導入されましたが。でも、医療サービスが十分に行き届かない居住地を、部分的に、特別扱いするのは非合理とは言えないかも。差別を受けてきた人たちに特別な配慮をするのと同様かなあ。)
そうではなくて、私が感じているのは、「content」の評価ができないものかと思うのです。どういうことかといえば、日本の現状は、ペーパーテストなど「客観性」のある評価を重視するあまり、「content」の評価が十分ではないのではないかと、このように感じているからです。先日から、このことについて、ずっと考えています。
でも、私の心の中には、もう一つの対立軸を持っています。
「content、特に、content of their characterによる評価を行うことができるのだろうか」ということ、言い換えれば、「content of their characterによる評価で、十分な妥当性があって、かつ、信頼できる客観性がある方法があるだろうか」ということです。人間には到底無理で、神様(もちろん、宗教的な意味ではなくて、絶対的な価値観のことね)にしかできない「神業」でないのか。さらに、すすめて、「content of their characterによる評価が、実際に行われたら、そこは、理想的な教育現場なのだろうか」ということです。もしかして、公民権運動の成果が達成される前の「暗黒の時代」かもしれないということです。
このことについて、誰か、答えをお持ちではないでしょうか。
私が、この仕事を6年以上してきて、わかってきたのは、現状では、「content of their characterによる評価は困難である」が、「content of their characterに基づく価値判断や行動結果をもとに、contentを評価する」ことはできるかもしれないと思っています。
「content of their characterによる評価」は、テレパシーか、読心術でも使わない限り、困難であろう、と思うのです。とても、客観性のある測定ができるとは思えないのです。なぜなら、それ自体が内在的で、抽象的、だからです。
だけど、内面的なcontent of their characterが外形的、表面的に見える状態になるとすれば、それは、「content of their characterに基づく価値判断や行動結果」かなと思います。それを、客観的に測定することはできるかもと、いろいろ、試行錯誤を続けています。
2009年01月19日
6年生の試験の成績集計がすべて終わりました。
全体をながめさせてもらったのですが、なかなか、感慨深いものがあります。
12月の末に、国家試験を模して、300問ぐらいの試験をしたのですが、平均正答率が85%を超えていました。まさか、問題が漏れていたということでもないのでしょうが、なかなか、すばらしいなあって、感動!(笑)しています。
トップの学生をみれば、300問中、不正解の数が10問程度。正答率は、97%を超えています。すごいなあ。
テストの採点をさせてもらうことがありますが、トップの学生の成績には、いつも、感嘆させられます。自分が学生だったときを思い出すと、恥ずかしいぐらいです(笑)。
優秀者の層には、チュトリアルや共用試験CBTでも上位だった、常連組がずらりと並び、やっぱりそうなのかなあ、って感じです。彼らの成績の安定さ、つまり上位固定率、にはいつも驚かされます。どんなに勉強しているのでしょうね。その努力には、素直に敬服します。その調子でがんばれ。
でも、上位層をみていて、気付いたことが。いままで、あまりここに顔を見せたことがない、それどころか、平均点以下であることが多かった学生の名前もみつけました。これもうれしい。かなり努力をしたに違いないでしょうね。しかも、いわゆる、一般問題と言われる、基礎医学領域の問題もきちんとよい点をマークしています。前にも書きましたが、一般問題の点を上げるのは簡単ではありません。そのことを実現することができる学生もいるのです。毎年、びっくりさせられています。
(だからって、低学年の頃は、そんなに勉強しなくてもいい、って思わないでね。5ー3年生のみなさん。だって、6年生のこの時期に、ググッと成績がアップする学生ばかりではないからです。がんばっているのかもしれませんが、残念ながら、結果がついてこない学生の方が多いかもしれない。こちらに固定されているような学生も珍しくありません。なので、基礎医学の知識をしっかりと。また、科学的な、論理的な、思考力もしっかりと磨いておいて下さい。)
最近、出会う6年生の中には、なんだか、さばさばした顔の学生もいて、どうだい?
って、聞いてみると、
「もう、すべきことはほとんどしてしまいました。模試の結果もいい感じなので」とのこと。
「そうかい。それは、すばらしいね。ということは、明日にでも国家試験をやってくれ、って感じかね?」と、笑いながら聞きますと、
「そうですね。早く終わって欲しいです!」って、返事。いい感じですね。
今年の6年生は全員合格してくれるだろう、と確信は深まりつつ。あとは、「人事を全うして天命を待つ」ってことかな。
ところで、今年のインフルエンザは、ワクチンが有効でないタイプかもしれないらしいし、タミフルに耐性を持つ株も見つかっています。十分に注意して下さいね。
これは、医師国家試験の6年生だけでなくて、医学部受験の受験生のみなさんにもね。
全体をながめさせてもらったのですが、なかなか、感慨深いものがあります。
12月の末に、国家試験を模して、300問ぐらいの試験をしたのですが、平均正答率が85%を超えていました。まさか、問題が漏れていたということでもないのでしょうが、なかなか、すばらしいなあって、感動!(笑)しています。
トップの学生をみれば、300問中、不正解の数が10問程度。正答率は、97%を超えています。すごいなあ。
テストの採点をさせてもらうことがありますが、トップの学生の成績には、いつも、感嘆させられます。自分が学生だったときを思い出すと、恥ずかしいぐらいです(笑)。
優秀者の層には、チュトリアルや共用試験CBTでも上位だった、常連組がずらりと並び、やっぱりそうなのかなあ、って感じです。彼らの成績の安定さ、つまり上位固定率、にはいつも驚かされます。どんなに勉強しているのでしょうね。その努力には、素直に敬服します。その調子でがんばれ。
でも、上位層をみていて、気付いたことが。いままで、あまりここに顔を見せたことがない、それどころか、平均点以下であることが多かった学生の名前もみつけました。これもうれしい。かなり努力をしたに違いないでしょうね。しかも、いわゆる、一般問題と言われる、基礎医学領域の問題もきちんとよい点をマークしています。前にも書きましたが、一般問題の点を上げるのは簡単ではありません。そのことを実現することができる学生もいるのです。毎年、びっくりさせられています。
(だからって、低学年の頃は、そんなに勉強しなくてもいい、って思わないでね。5ー3年生のみなさん。だって、6年生のこの時期に、ググッと成績がアップする学生ばかりではないからです。がんばっているのかもしれませんが、残念ながら、結果がついてこない学生の方が多いかもしれない。こちらに固定されているような学生も珍しくありません。なので、基礎医学の知識をしっかりと。また、科学的な、論理的な、思考力もしっかりと磨いておいて下さい。)
最近、出会う6年生の中には、なんだか、さばさばした顔の学生もいて、どうだい?
って、聞いてみると、
「もう、すべきことはほとんどしてしまいました。模試の結果もいい感じなので」とのこと。
「そうかい。それは、すばらしいね。ということは、明日にでも国家試験をやってくれ、って感じかね?」と、笑いながら聞きますと、
「そうですね。早く終わって欲しいです!」って、返事。いい感じですね。
今年の6年生は全員合格してくれるだろう、と確信は深まりつつ。あとは、「人事を全うして天命を待つ」ってことかな。
ところで、今年のインフルエンザは、ワクチンが有効でないタイプかもしれないらしいし、タミフルに耐性を持つ株も見つかっています。十分に注意して下さいね。
これは、医師国家試験の6年生だけでなくて、医学部受験の受験生のみなさんにもね。
2009年01月12日
先日、PBl-tutorial教育が3ヶ月目になったぐらいのころ、3年生が部屋を尋ねてくれました。
「先生、9月からのチュトリアルですが、アチーブメントテストで合格点に届きません。勉強もしているのに、どうしてでしょう?」
こういう相談や質問は大歓迎です。というのは、医師としての成長に不可欠な自己アセスメント、内省のプロセスであり、また、問題解決のプロセスをきちんと動かしているからです。彼は、きっと、すばらしい医師になってくれるだろうなあって思います。
こういう質問はよく受けます。うちの大学のPBL-tutorial教育のアチーブメントテストは、わざと、「勉強している」学生が苦労するような、そういう問題や評価方法での出題を積極的に行っているからです。
え、と思われた方がいるかもしれませんが、こういうことです。
このような質問を受けたとき、私は、以下のようにまず応えるようにしています。
「勉強してるって、いいね。でも、あなたの言う、勉強って、どんなことなの?」
そうすると、半分ぐらいは、「勉強と言うのは、テストの対策勉強のこと」で、具体的に例をあげてもらうと、大体、過去問を丸暗記したり、先輩からもらった簡便な本の簡略化した記載をそのまま丸暗記することを指しています。
そういう勉強法では、点が稼げないようなテストをしたいと思っています。そのような勉強方法で、よい点を取るようなテストは、医師としての成長を促すような妥当性のある、よいテストではないと確信しているからです。
もちろん、丸暗記をしてでも頭に入れなければならない知識体系があるのも事実ですが、それらを記憶する必要があるのは、それらの知識をもとに、新たな判断をする能力が求められるからですので、暗記することだけで安心してはいけません。ネフローゼ症候群の診断基準を丸暗記する必要があるのは、浮腫をきたした患者さんの診療、問題解決をきちんと行うためだからです。
で、テスト直前の対策勉強を勉強だと思っている学生の場合は、「テスト前だけでなくて、日頃から、きちんと学習に取り組んで下さい。しかも、丸暗記するだけではなくて、どうしてなのだろう、なぜなんだろう、と、疑問をもって、考えることもしながら、学習してみたらいいよ」と、アドバイスするようにしています。
そうではなくて、きちんと、勉強しているのに、テストで点が反映されない学生もいます。その場合に多いのは、テストの解答方法に慣れてない、わかっていない場合です。これは、せっかく勉強しているのに、気の毒でもあり、もし、出題方法に問題があるのであれば、こちらもフィードバックして改善しなければならないと思っています。
でも、出題には問題がなくて、という場合は、こういうケースが多いです。
選択式の問題なら、点を取れるのに、記述式の問題で点がとれない。
記述式の問題の場合は、聞かれていることにきちんと正確に、論理性のある回答することが重要と考えています。というか、出題する側は、正確な知識や誤りのない論理を構築できるかどうか、をみたいと思っているのです。つまりは、深いレベルの理解ができているかどうか、ということですね。
例をあげようと思います。
元気な30歳代の方が、1週間前からの発熱、咳、喀痰で、その胸部レントゲン写真が示されている場合。
レントゲンでは、明らかに、いわゆる大葉性肺炎の像が見えています。肺胞に浸出液がたまり、有名なairbronchogram(気管支透亮像)が見えているケースです。(学生にテストで出題するケースは、このように”典型的な”ケースを出題するようにしています。)
このようなケースで、以下のような設問がある場合です。
問題:この患者さんに予想される病原微生物にはどのようなものがあるか、複数あげなさい。
このような問題は、アメリカのUSMLEを見るまでもなく、実践的な問題、また、記述式といえど、かなりの客観性のある評価ができる問題と思っています。
正解は、肺炎球菌、ブドウ球菌などのグラム陽性球菌のほか、さらに、インフルエンザ桿菌という、有名なグラム陰性桿菌をあげていると満点という採点基準になるかと思います。あくまでも、市中肺炎での「典型的な」起炎菌の知識を聞いているのですね。
だから、緑膿菌やMRSAを挙げると正解にはならないのです。ウイルスだけをあげている場合は、論外です。もちろん、学術的には、そのような「稀な」ケースがあるのは知っていますが、学生のテストにおいて、それだけを挙げる場合は、そもそもの正しい知識を知らないからだと、こちらは判断せざるを得ません。もちろん、そういうことが「稀で」「貴重で」あるのは、通常の病原体を知っているからですしね。そういう意味からも、「典型的な」場合のことを知っていることは不可欠のことです。
そして、こういう問題では、答えは1つではありません。それは、現実の診療がそうだからです。
このようなときに、「肺炎球菌」しかあげられない方は、よい臨床医にはなれません。学生の側にたってみれば、できるだけ記憶量は少なくしたい、絞り込みたい、というのが本音だと思いますが、定型的な大葉性肺炎の患者さんを提示されて、予想する病原体をたった1つにしてしまうこと、これは絶対に譲れない点です。なぜなら、このようなケースは、Common Disease(よくある疾患)であり、しかも、治療薬選択において、とても重要な判断の理由になる知識だからです。インフルエンザ桿菌が予想されることを忘れていると、抗生物質の選択を誤る可能性があります。だから、です。
このように、正攻法で行くしかないと思います。医学の学習には、王道しかないと思います。そのようにして勉強し、テストでも、そのように回答してね、と、アドバイスするようにしています。
そうすれば、ほとんどの学生が、その数ヶ月以内に、すばらしい点数をマークするようになり、また、ポートフォリオなどの日々の提出物の内容も、すばらしいものに変わっていきます。
この仕事をしていて、よかったなあって、実感できるときです。
教育は、手間もかかるし、時間もかかるものだなと思います。それを惜しんじゃいけませんよね。
「先生、9月からのチュトリアルですが、アチーブメントテストで合格点に届きません。勉強もしているのに、どうしてでしょう?」
こういう相談や質問は大歓迎です。というのは、医師としての成長に不可欠な自己アセスメント、内省のプロセスであり、また、問題解決のプロセスをきちんと動かしているからです。彼は、きっと、すばらしい医師になってくれるだろうなあって思います。
こういう質問はよく受けます。うちの大学のPBL-tutorial教育のアチーブメントテストは、わざと、「勉強している」学生が苦労するような、そういう問題や評価方法での出題を積極的に行っているからです。
え、と思われた方がいるかもしれませんが、こういうことです。
このような質問を受けたとき、私は、以下のようにまず応えるようにしています。
「勉強してるって、いいね。でも、あなたの言う、勉強って、どんなことなの?」
そうすると、半分ぐらいは、「勉強と言うのは、テストの対策勉強のこと」で、具体的に例をあげてもらうと、大体、過去問を丸暗記したり、先輩からもらった簡便な本の簡略化した記載をそのまま丸暗記することを指しています。
そういう勉強法では、点が稼げないようなテストをしたいと思っています。そのような勉強方法で、よい点を取るようなテストは、医師としての成長を促すような妥当性のある、よいテストではないと確信しているからです。
もちろん、丸暗記をしてでも頭に入れなければならない知識体系があるのも事実ですが、それらを記憶する必要があるのは、それらの知識をもとに、新たな判断をする能力が求められるからですので、暗記することだけで安心してはいけません。ネフローゼ症候群の診断基準を丸暗記する必要があるのは、浮腫をきたした患者さんの診療、問題解決をきちんと行うためだからです。
で、テスト直前の対策勉強を勉強だと思っている学生の場合は、「テスト前だけでなくて、日頃から、きちんと学習に取り組んで下さい。しかも、丸暗記するだけではなくて、どうしてなのだろう、なぜなんだろう、と、疑問をもって、考えることもしながら、学習してみたらいいよ」と、アドバイスするようにしています。
そうではなくて、きちんと、勉強しているのに、テストで点が反映されない学生もいます。その場合に多いのは、テストの解答方法に慣れてない、わかっていない場合です。これは、せっかく勉強しているのに、気の毒でもあり、もし、出題方法に問題があるのであれば、こちらもフィードバックして改善しなければならないと思っています。
でも、出題には問題がなくて、という場合は、こういうケースが多いです。
選択式の問題なら、点を取れるのに、記述式の問題で点がとれない。
記述式の問題の場合は、聞かれていることにきちんと正確に、論理性のある回答することが重要と考えています。というか、出題する側は、正確な知識や誤りのない論理を構築できるかどうか、をみたいと思っているのです。つまりは、深いレベルの理解ができているかどうか、ということですね。
例をあげようと思います。
元気な30歳代の方が、1週間前からの発熱、咳、喀痰で、その胸部レントゲン写真が示されている場合。
レントゲンでは、明らかに、いわゆる大葉性肺炎の像が見えています。肺胞に浸出液がたまり、有名なairbronchogram(気管支透亮像)が見えているケースです。(学生にテストで出題するケースは、このように”典型的な”ケースを出題するようにしています。)
このようなケースで、以下のような設問がある場合です。
問題:この患者さんに予想される病原微生物にはどのようなものがあるか、複数あげなさい。
このような問題は、アメリカのUSMLEを見るまでもなく、実践的な問題、また、記述式といえど、かなりの客観性のある評価ができる問題と思っています。
正解は、肺炎球菌、ブドウ球菌などのグラム陽性球菌のほか、さらに、インフルエンザ桿菌という、有名なグラム陰性桿菌をあげていると満点という採点基準になるかと思います。あくまでも、市中肺炎での「典型的な」起炎菌の知識を聞いているのですね。
だから、緑膿菌やMRSAを挙げると正解にはならないのです。ウイルスだけをあげている場合は、論外です。もちろん、学術的には、そのような「稀な」ケースがあるのは知っていますが、学生のテストにおいて、それだけを挙げる場合は、そもそもの正しい知識を知らないからだと、こちらは判断せざるを得ません。もちろん、そういうことが「稀で」「貴重で」あるのは、通常の病原体を知っているからですしね。そういう意味からも、「典型的な」場合のことを知っていることは不可欠のことです。
そして、こういう問題では、答えは1つではありません。それは、現実の診療がそうだからです。
このようなときに、「肺炎球菌」しかあげられない方は、よい臨床医にはなれません。学生の側にたってみれば、できるだけ記憶量は少なくしたい、絞り込みたい、というのが本音だと思いますが、定型的な大葉性肺炎の患者さんを提示されて、予想する病原体をたった1つにしてしまうこと、これは絶対に譲れない点です。なぜなら、このようなケースは、Common Disease(よくある疾患)であり、しかも、治療薬選択において、とても重要な判断の理由になる知識だからです。インフルエンザ桿菌が予想されることを忘れていると、抗生物質の選択を誤る可能性があります。だから、です。
このように、正攻法で行くしかないと思います。医学の学習には、王道しかないと思います。そのようにして勉強し、テストでも、そのように回答してね、と、アドバイスするようにしています。
そうすれば、ほとんどの学生が、その数ヶ月以内に、すばらしい点数をマークするようになり、また、ポートフォリオなどの日々の提出物の内容も、すばらしいものに変わっていきます。
この仕事をしていて、よかったなあって、実感できるときです。
教育は、手間もかかるし、時間もかかるものだなと思います。それを惜しんじゃいけませんよね。
2009年01月04日
今朝の朝日新聞に、大学の専門学校化の傾向があるとの特集がありました。
大学生が、卒後の進路選択などが有利になることから、専門資格を取得することをカリキュラムとして位置づけている大学が増えているとの記事でした。
医学部の教員として、この記事を興味をもって、しかし、いろいろ考えながら、読みました。
医学部は、医学科にしろ、看護学科や栄養学科にしろ、卒後に、医療専門職になることを前提として、学生の募集をし、カリキュラム(その専門職に必要とされる教育内容は、必修科目として中心に据えられていて、その内容は、文部科学省だけでなく、厚生労働省の担当部局の意向が強く反映されていたりする)を構築し、卒後の資格試験の合格率などは、その大学の教育レベルを推し量るモノサシとして使われていたりします。
なので、私は、「医学部は、大学ではなくて、専門学校なのではないか」、と、ずっと、ジレンマを抱きながら、この仕事をしています。
アメリカなどは、しっかりと割り切っていて、4年制の大学を卒業した、学士さんを対象に、Medical Schoolと名付けて、高等専門職養成のための専門学校として位置づけられています。弁護士を養成するLaw Schoolと同じです。
医師国家試験の大学別合格率は、試験を実施する厚生労働省が発表し、大新聞も好んで社会面に掲載する傾向があります。大学や文部科学省に対するプレッシャーとしての効果があるのかもしれません。
そもそも、医学部医学科に入学した1年生の90%以上が6年間ちょうどで進級して卒業し、全国平均でそのうちの90%以上が医師国家試験に一発で合格するということは、医師になるための最大の難関は、医師国家試験でも、医学部在学中の進級試験や卒業試験でもないわけです。最大の難関は、医学部に入る前、一番最初の入口である、医学部医学科の入学試験であるということになります。
うちの大学でも、入試の倍率は、例年、4倍から8倍ぐらいという、高い数字になっています。それだけ、優秀な方を選抜できているということになるのでしょう。うちの大学を選んでくれる受験生の方、ありがとうございます!
しかし、地方国立大学の医学部にいる教員としては、全国の合格率が90%ぐらいある資格試験の大学別合格率が、そもそも、何を評価しているのか、その大学の教育レベルをどの程度反映しているのか、いつも、疑問に思っています。トップレベルの大学は、100人ぐらい受験して、不合格者が0−2名というレベルです。この数値から、一体、何がわかるのでしょうか。
もし、ある程度、大学やその学生の学習達成度を評価したいのであれば、「大学別平均点」、「大学別合格者平均点」あるいは、ある一定点以上の学生数を大学別に発表する「大学別優秀者数」などを発表するのはどうかと思っています。だって、もともと、不合格者の数、とても少ないのですから。
とはいえ、この数字、伝統的に、社会的インパクトも大きいので、無視することはできません。
また、生身の学生たちを見ている現場の教員としては、数字ではわからない、学生たちの悲喜こもごもをみていますので、全員合格が目標となるのは当然のことです。
ということで、厚生労働省から課せられた医師国家試験は、入学試験が最大の難関であることなどからも、医学部医学科の教育カリキュラムの運営において、この資格試験を無視することができないことがわかっていただけるでしょうか。うちの大学でも、伝統的に、医師国家試験の合格率は重要視されてきました。自分が医学生だったときにも、そのような空気がありました。
つまり、もともと、「医学部は、医師国家試験合格のための専門学校化しやすい」性格を持っています。かなり、高等なレベルの専門学校だとは思いますが。
しかし、医学教育を担う立場になってみると、
「医師国家試験の合格率は大事で、もちろん、100%合格が理想であるが、大学教育としての医学教育は、それだけであってはならない、医師国家試験合格は最低限の目標として位置づけるものである」
と、思うのです。欲張りかな。
実際に、生の、医学生たちの科学的思考力やコミュニケーション能力、語学力、あるいは、人間性などに触れていますと、この国の受験戦争のトップレベルの学生であるはずなのに、基本的な論理力、たとえば、三段論法などの、演繹思考法や、あるいは、帰納法、あるいは、そもそも、生物学の知識が乏しい医学生や、英語がまるきし理解できていない医学生が、少なからず実在しますし、善悪の価値判断や社会常識に基づいた行動様式すら怪しい学生がいます。簡単にいえば、「未成熟」なのです。(そういう学生を入試選抜したのは誰か、とお叱りを受けることと思います。)当然ですね。18−19歳の大学生、ずっと、勉強ばかりしてきた学生も多いでしょうから、人間性を成熟させる場はなかったに違いありません。
ということは、そういう医学生も含めて、いきなり、専門学校的な教育カリキュラムを行っても、社会が求める医師像とは解離しているのではないか、と、不安に思います。6年間も大学に通うのに、本当に、もったいないことだなあって、思います。
「幅広い教養は、大学人として、科学人として、基本的に大事なことだ」と、アドバイスすると、「医師国家試験に無関係なことまで押し付けないで」と、逆切れされることもままあり。
それは、当然で、そもそも、入学当初の1−2年間や、あるいは6年間だけ、あるいは、教養の単位をどれだけ集めたって、医師として十分な教養が身につくはずもなく。じゃあ、講義を休んで、クラブや旅行、読書や映画をみたり、恋愛や失恋をすれば、いいのか?
あ〜あ。やっぱり、時間がかかるんだよね。人間性や教養を深めるのは。
やっぱり、人間性が十分ではない医学生が実在するね。幅広く、深い教養を身につけるのは、医師になるためでも、医師国家試験に合格するためでもなくて、学問や科学を追究する者として、必要なことだと思うのです。
第一、臨床医としても、患者さんの問題点を捉えて、その解決を図るためには、医師国家試験で測定される医学知識はもちろん、ペーパーテストでは測定困難な、科学的論理性は不可欠ですし、コミュニケーション能力も倫理感を涵養する人間性も、皆、重要なのです。それらをしっかりと鍛錬できる教育の場になればいいなって、思っています。
ただ、これは、今の学生たちが悪いのではありません。彼らの周囲、つまり、この社会が、かなり、余裕がないというか、実利的な物事を追求しすぎなのだと思います。彼らは、それに応えるべく、努力をして来ただけ。
大学生が、卒後の進路選択などが有利になることから、専門資格を取得することをカリキュラムとして位置づけている大学が増えているとの記事でした。
医学部の教員として、この記事を興味をもって、しかし、いろいろ考えながら、読みました。
医学部は、医学科にしろ、看護学科や栄養学科にしろ、卒後に、医療専門職になることを前提として、学生の募集をし、カリキュラム(その専門職に必要とされる教育内容は、必修科目として中心に据えられていて、その内容は、文部科学省だけでなく、厚生労働省の担当部局の意向が強く反映されていたりする)を構築し、卒後の資格試験の合格率などは、その大学の教育レベルを推し量るモノサシとして使われていたりします。
なので、私は、「医学部は、大学ではなくて、専門学校なのではないか」、と、ずっと、ジレンマを抱きながら、この仕事をしています。
アメリカなどは、しっかりと割り切っていて、4年制の大学を卒業した、学士さんを対象に、Medical Schoolと名付けて、高等専門職養成のための専門学校として位置づけられています。弁護士を養成するLaw Schoolと同じです。
医師国家試験の大学別合格率は、試験を実施する厚生労働省が発表し、大新聞も好んで社会面に掲載する傾向があります。大学や文部科学省に対するプレッシャーとしての効果があるのかもしれません。
そもそも、医学部医学科に入学した1年生の90%以上が6年間ちょうどで進級して卒業し、全国平均でそのうちの90%以上が医師国家試験に一発で合格するということは、医師になるための最大の難関は、医師国家試験でも、医学部在学中の進級試験や卒業試験でもないわけです。最大の難関は、医学部に入る前、一番最初の入口である、医学部医学科の入学試験であるということになります。
うちの大学でも、入試の倍率は、例年、4倍から8倍ぐらいという、高い数字になっています。それだけ、優秀な方を選抜できているということになるのでしょう。うちの大学を選んでくれる受験生の方、ありがとうございます!
しかし、地方国立大学の医学部にいる教員としては、全国の合格率が90%ぐらいある資格試験の大学別合格率が、そもそも、何を評価しているのか、その大学の教育レベルをどの程度反映しているのか、いつも、疑問に思っています。トップレベルの大学は、100人ぐらい受験して、不合格者が0−2名というレベルです。この数値から、一体、何がわかるのでしょうか。
もし、ある程度、大学やその学生の学習達成度を評価したいのであれば、「大学別平均点」、「大学別合格者平均点」あるいは、ある一定点以上の学生数を大学別に発表する「大学別優秀者数」などを発表するのはどうかと思っています。だって、もともと、不合格者の数、とても少ないのですから。
とはいえ、この数字、伝統的に、社会的インパクトも大きいので、無視することはできません。
また、生身の学生たちを見ている現場の教員としては、数字ではわからない、学生たちの悲喜こもごもをみていますので、全員合格が目標となるのは当然のことです。
ということで、厚生労働省から課せられた医師国家試験は、入学試験が最大の難関であることなどからも、医学部医学科の教育カリキュラムの運営において、この資格試験を無視することができないことがわかっていただけるでしょうか。うちの大学でも、伝統的に、医師国家試験の合格率は重要視されてきました。自分が医学生だったときにも、そのような空気がありました。
つまり、もともと、「医学部は、医師国家試験合格のための専門学校化しやすい」性格を持っています。かなり、高等なレベルの専門学校だとは思いますが。
しかし、医学教育を担う立場になってみると、
「医師国家試験の合格率は大事で、もちろん、100%合格が理想であるが、大学教育としての医学教育は、それだけであってはならない、医師国家試験合格は最低限の目標として位置づけるものである」
と、思うのです。欲張りかな。
実際に、生の、医学生たちの科学的思考力やコミュニケーション能力、語学力、あるいは、人間性などに触れていますと、この国の受験戦争のトップレベルの学生であるはずなのに、基本的な論理力、たとえば、三段論法などの、演繹思考法や、あるいは、帰納法、あるいは、そもそも、生物学の知識が乏しい医学生や、英語がまるきし理解できていない医学生が、少なからず実在しますし、善悪の価値判断や社会常識に基づいた行動様式すら怪しい学生がいます。簡単にいえば、「未成熟」なのです。(そういう学生を入試選抜したのは誰か、とお叱りを受けることと思います。)当然ですね。18−19歳の大学生、ずっと、勉強ばかりしてきた学生も多いでしょうから、人間性を成熟させる場はなかったに違いありません。
ということは、そういう医学生も含めて、いきなり、専門学校的な教育カリキュラムを行っても、社会が求める医師像とは解離しているのではないか、と、不安に思います。6年間も大学に通うのに、本当に、もったいないことだなあって、思います。
「幅広い教養は、大学人として、科学人として、基本的に大事なことだ」と、アドバイスすると、「医師国家試験に無関係なことまで押し付けないで」と、逆切れされることもままあり。
それは、当然で、そもそも、入学当初の1−2年間や、あるいは6年間だけ、あるいは、教養の単位をどれだけ集めたって、医師として十分な教養が身につくはずもなく。じゃあ、講義を休んで、クラブや旅行、読書や映画をみたり、恋愛や失恋をすれば、いいのか?
あ〜あ。やっぱり、時間がかかるんだよね。人間性や教養を深めるのは。
やっぱり、人間性が十分ではない医学生が実在するね。幅広く、深い教養を身につけるのは、医師になるためでも、医師国家試験に合格するためでもなくて、学問や科学を追究する者として、必要なことだと思うのです。
第一、臨床医としても、患者さんの問題点を捉えて、その解決を図るためには、医師国家試験で測定される医学知識はもちろん、ペーパーテストでは測定困難な、科学的論理性は不可欠ですし、コミュニケーション能力も倫理感を涵養する人間性も、皆、重要なのです。それらをしっかりと鍛錬できる教育の場になればいいなって、思っています。
ただ、これは、今の学生たちが悪いのではありません。彼らの周囲、つまり、この社会が、かなり、余裕がないというか、実利的な物事を追求しすぎなのだと思います。彼らは、それに応えるべく、努力をして来ただけ。
数年前から、6年生たちの医師国家試験の準備状況を評価できるよう、いろいろとアプローチを繰り返してきました。
その中で、いろんなことがわかってきて、それを次の学年の学生たちにフィードバックするようにしています。できるだけ、たくさんの学生に、立派な研修医として活躍して欲しいから。
その中で、明確にわかってきたことのひとつに、「一般問題(基礎医学領域)の点数は簡単には向上しない」ということです。
医師国家試験には、大きく分けると、臨床問題と一般問題になります。これは、臨床医学領域と基礎医学の領域の問題という意味で、つまり、医師国家試験は、内科や外科などの臨床医学だけでなくて、解剖学や生理学などの基礎医学の問題も積極的に出題されているのです。
この一般問題ですが、なかなか、含蓄のある評価を示してくれるので、興味深いです。医師国家試験の出題側の考えは、おそらく、医学生低学年のころから、まじめに、医学学習に取り組んで来たのか、ということも評価したいのではないでしょうか。
つまり、6年生より以前、特に、2−4年生あたりで、どのぐらい真剣に医学学習に取り組んだか、ということが、ずっと尾を引いているように思います。実際に、6年生たちが低学年だったときに、どんな成績だったかを追跡調査してその相関などをみてみますと、明らかに、6年生の問題別正答率などからは、3−4年生のころの成績が、臨床問題の成績より、一般問題の成績のほうに、関連が高いことがわかります。3−4年生のころからがんばっている学生は、6年生でもよい試験点数をマークするし、低学年のころ、同級生と比較して、成績がよくなかった学生は、6年生の試験では、臨床医学領域はなんとかカバーしていても、基礎医学の領域は挽回しきれてない感じなのです。興味深いですね。
そして、さらに、一般問題の興味深い所は、6年生になって、一般問題の点数がかんばしくない学生がいたとして、その学生が、苦手とする一般問題の点数を飛躍的に改善しようとしても、簡単ではないようなのです。本当は、6年生になってあわてて、急に取り組むのではなくて、もっと、低学年のときに、きちんと学んでおけよ、って、こちらでは思うのですが、とにかく、6年生になってから、急に、一生懸命に勉強しているようですが、なかなか、点数があがりません。臨床問題はすぐに改善していくような経過をとる学生が多いので、まじめに勉強に取り組んでいると思われるのですが、そういう学生が、一般問題の改善がみられるのは少ないのです。不思議ですね。
なので、彼ら医学生に、国家試験対策の話をする機会があれば、必ず、一般問題を軽視するなと、口を酸っぱくして言うようにしました。というか、するべきときに、するべき勉強をしておけよ、って感じでしょうか。
ところで、今年の6年生たちの中には、いままでの学年と違って、彼らが4年生のころは、必ず間違えていたであろう、解剖学の問題などをきちんと正解する学生が増えていて、3年生の頃の成績と比べても、一般問題の成績がかなり改善している学生が見受けられます。
「おお、やるなあ。かなり、がんばったようだなあ」って、感じさせる学生が増えました。よかったよかった。そのがんばりには、素直に、賞賛を送ります。
(でも、やっぱり、基礎医学を学んでいる低学年のころから、きちんとがんばってくれよ、って思う気持ちは変わりませんが。笑)
本当に、今年の6年生たちは、よくがんばっているように思います。
その中で、いろんなことがわかってきて、それを次の学年の学生たちにフィードバックするようにしています。できるだけ、たくさんの学生に、立派な研修医として活躍して欲しいから。
その中で、明確にわかってきたことのひとつに、「一般問題(基礎医学領域)の点数は簡単には向上しない」ということです。
医師国家試験には、大きく分けると、臨床問題と一般問題になります。これは、臨床医学領域と基礎医学の領域の問題という意味で、つまり、医師国家試験は、内科や外科などの臨床医学だけでなくて、解剖学や生理学などの基礎医学の問題も積極的に出題されているのです。
この一般問題ですが、なかなか、含蓄のある評価を示してくれるので、興味深いです。医師国家試験の出題側の考えは、おそらく、医学生低学年のころから、まじめに、医学学習に取り組んで来たのか、ということも評価したいのではないでしょうか。
つまり、6年生より以前、特に、2−4年生あたりで、どのぐらい真剣に医学学習に取り組んだか、ということが、ずっと尾を引いているように思います。実際に、6年生たちが低学年だったときに、どんな成績だったかを追跡調査してその相関などをみてみますと、明らかに、6年生の問題別正答率などからは、3−4年生のころの成績が、臨床問題の成績より、一般問題の成績のほうに、関連が高いことがわかります。3−4年生のころからがんばっている学生は、6年生でもよい試験点数をマークするし、低学年のころ、同級生と比較して、成績がよくなかった学生は、6年生の試験では、臨床医学領域はなんとかカバーしていても、基礎医学の領域は挽回しきれてない感じなのです。興味深いですね。
そして、さらに、一般問題の興味深い所は、6年生になって、一般問題の点数がかんばしくない学生がいたとして、その学生が、苦手とする一般問題の点数を飛躍的に改善しようとしても、簡単ではないようなのです。本当は、6年生になってあわてて、急に取り組むのではなくて、もっと、低学年のときに、きちんと学んでおけよ、って、こちらでは思うのですが、とにかく、6年生になってから、急に、一生懸命に勉強しているようですが、なかなか、点数があがりません。臨床問題はすぐに改善していくような経過をとる学生が多いので、まじめに勉強に取り組んでいると思われるのですが、そういう学生が、一般問題の改善がみられるのは少ないのです。不思議ですね。
なので、彼ら医学生に、国家試験対策の話をする機会があれば、必ず、一般問題を軽視するなと、口を酸っぱくして言うようにしました。というか、するべきときに、するべき勉強をしておけよ、って感じでしょうか。
ところで、今年の6年生たちの中には、いままでの学年と違って、彼らが4年生のころは、必ず間違えていたであろう、解剖学の問題などをきちんと正解する学生が増えていて、3年生の頃の成績と比べても、一般問題の成績がかなり改善している学生が見受けられます。
「おお、やるなあ。かなり、がんばったようだなあ」って、感じさせる学生が増えました。よかったよかった。そのがんばりには、素直に、賞賛を送ります。
(でも、やっぱり、基礎医学を学んでいる低学年のころから、きちんとがんばってくれよ、って思う気持ちは変わりませんが。笑)
本当に、今年の6年生たちは、よくがんばっているように思います。

