医学教育でのひとりごと

都会からの医学生に、この地域の研修医として残ってもらう一番効果的な方策は、結局、地元の女性との合コン?医学部入試から卒後臨床研修まで、医学教育全般に携わっている専任教員のひとりごとです。

医師国家試験

「お前、なんで、小野小町と答えたんや?」

高校は、今、試験中みたいですね。
朝の電車の中では、みんな教科書やノートを開いたり、互いに問題を出したりしています。
進学校の生徒たちだけでなく、いつもはダラダラと面倒くさそうにしている生徒たちも。

回答を聞けば、質問がわかる感じがします。
こんなことを言い合っている生徒たちがいました。

「お前、なんで、小野小町と書いたんや?」

試験に、小野小町が出るとは考えられず。思わず、ニヤリとしてしまいました。
返答する方は、「三大美人を聞かれたから!」と、反撃していたけど。

2人の会話からは、問題はわからないけど、でも、たぶん、正解は小野妹子。
間違えたほうも、正解はわかっただろうけど、まさか、女性と思ってないだろうね。

国家試験に向けての勉強会をしている6年生を多くみかけるようになった 5

うちの大学では、6年生のカリキュラムは4月から7月末まで、臨床実習が4ヶ月間設定されています。この実習は、自分が希望する診療科や病院で、5年生で1年間実施されているクリニカルクラークシップよりも、より深い内容の実習をすることを想定していて、場合によっては、指導医の監督指示のもと、研修医レベルの体験を行う場合もあるかもしれません。臨床実習の総まとめという感じかもしれません。
そして、6年生の9月からは、12月まで、ずっと、卒業試験です。6年間の医学教育の総まとめという感じになっています。

最近、グループ学習のために24時間解放しているチュートリアル室に、6年生たちの姿をよくみかけるようになりました。夜や休日など、数人の6年生が集まって熱心に勉強会をしています。

「がんばっているね」
「はい、国家試験の勉強をしないと」

なるほどね。
医師国家試験は、全体の合格率も90%ぐらいあるので、「楽勝」な試験と思われがちですが、そんなことはありません。全国の医学生たちが、この試験に向けて、長期間、しっかりと準備をするので、このような合格率をマークしているのだと思います。のんびりしていると、残念なことになる可能性があります。

特に、6年生までの間に、同級生たちと比べても、「あまり医学学習に熱心に取り組まなかったな」と自分のこと客観的に評価せざるを得ない学生の方は、今から、しっかりと準備を始めて行く必要があります。まあ、今年は卒業しないで、国家試験は、今の5年生たちと受験しよう、と、このように思っている方は別ですが。
そういう方は、今から、まずは、「一般問題」から取り組んで行きましょう。しっかり、各領域の基礎医学から、知識をきちんと確認し、知識体系を組み立てていきましょう。

ということで、長期的な計画的な戦略的な勉強法が必要で、なかなか、一人では大変です。医学知識は膨大ですし、ここはやはり、「三人寄れば文殊の知恵」ということで、勉強のペース作りにもなりますから、一緒に勉強会をして行こう、などと、友達を誘って、勉強会を始めるのが一番確実と思います。
別に、いわゆる「ブレイン」と呼ばれる学生が入っている必要はありません。「三人寄れば文殊の知恵」なのです。互いに教えあい、調べ合いをして、知識を固めて行きましょう。

うちの大学は、そのような6年生の勉強会のために、小部屋をたくさん用意しています。

第103回医師国家試験の出題は出色かと 5

毎年、2月に行われた医師国家試験の問題集を購入し、分析しています。例年だと、五月の連休の楽しみにしているのですが、今年は、都合により遅れてしまって、今、問題集をみています。

今年の第103回は、新型の問題が出題されることが事前にアナウンスされていたり、また、問題のブロック構成が混成になったり、出題の順序(領域別に整然と出題されるのが普通だった)が、実際の救急外来のように、不規則に並べられたりして、いろいろと話題になった試験だったと思います。
もう、卒業して研修医をしている受験生たちに、話をきいて、いろいろ情報を得ていましたが、こうやって、問題集として販売されているものを手に取ってみると、興味深いですね。

国立大学医学部の教員も、医師国家試験の問題集を購入して分析しているのか、と、驚かれる方もいるかもしれませんし、あるいは、それは当然のことだろ、って、感想をお持ちの方もいるかもしれませんが、私が学生だった頃は、国家試験の傾向などは一切無視した試験が課されるのが当然でした。
数年前にこの仕事についたとき、新しい医学教育理論の実践を中心に責務を始めたのですが、次第に、おやおや、これは、医師国家試験の問題をみておかないとだめだなと、感じまして、すぐに国家試験の問題集を購入し始めましたし、5年前には、とりあえずクエスチョンバンクを全部そろえました。

医師国家試験は、ここ数年、毎年のように、ガラリと変更が加えられているので、びっくりなのですが、第100回と第102回が出題内容もよかったかなと思っています。
それで、今年の第103回ですが、これが、なかなか、すばらしい問題だと感服しています。

というのは、自分自身、卒業試験やチュートリアル教育、あるいは、医師国家試験対策や共用試験CBT対策を担当してることもあり、問題を作ってみることも多いのですが、なかなか、医学教育の専門と言いながら、良問を作ることに成功するのは少ないのです。評価って、本当に難しいと毎日感じています。
知識の有無、暗記力で対応できるような問題を作るのはそれほど難しくはありません。でも、3−4年生のPBL-tutorial教育では、病態メカニズムの理解を最重視していますし、6年生の卒業試験では、鑑別診断能力、臨床推論能力、画像診断能力を適切に評価できる試験を実施したいと思って、いろいろ、工夫をしてきていますので、試験問題を作ることの困難さ、良問を生み出すことの難しさを実感しているのです。

だから、このように、力作の試験問題に触れると、素直に、感動してしまうのです。
第103回医師国家試験の出題委員の先生方のご努力には、本当に、感服しています。

第103回の試験問題を十分に吟味し、今の6年生たちにフィードバックして行きたいと思っていますが、しかし、やっぱり、低学年のうちに、少なくとも4年生までには、主な病態メカニズムをきちんと理解し、そして、それから、適切な、臨床推論、鑑別診断能力を育成して行けば、この試験は全く怖くはありませんし、このような改善は全く望むところとも言えます。
このようなアプローチでやってきたことに、改めて、自信も持ちました。だから、がんばっていきましょう。

*でも、このような資格試験って、教員や大学がどんなにがんばっても、結局のところ、各学生個人個人がどこまで真剣に準備をするかということにかかっています。代わりに受けてあげることはできないので。(お前が受けたら、合格できるんか!って、ツッコミが聞こえるような気がする。笑)

もちろん、うちの学生さんたちだけでなくて、個々の具体的な事項については、また、折々、このブログにも紹介して行きますね。

とりあえず、最初に述べておきたいのは、過去問の模範解答の丸暗記だけでなく、なぜ、その選択肢が正解なのか、疑問をもって、調べておくことが大事と思います。特に、「なぜ、診断のためにその検査をするのか」、「なぜ、このような処置をすると改善につながるのか」ということを。
よく、「whatではなく、whyという疑問をもて」って言われるでしょう。
今、臨床実習中の6年生や5年生のみなさんは、問題集よりも実習そのもので、そのことを実践し、実習中にしっかりと「生きた」知識を学び続けて下さい。それが、実は結果的に、国家試験対策にもつながりますよ。
(国家試験合格のためだけに、医学を学ぶのではありませんけれどね!)

「国家試験は、数ヶ月、きちっと準備をやれば、合格できると思いました」

先日の、第103回医師国家試験がうまく行かなかった方(4月以降は、卒業生であり、法的には、大学とは基本的に関係がなくなる)と、面談をしています。
自己採点の結果から、合否の連絡がある前に、予想はできていた、という方が多く、それほど、精神的ショックは大きくない、とのことで、こちらも一安心です。発表から、少し、時間が経過した、ということもあるのかもしれません。
これも、人間の脳神経の可塑性がなせるわざなのでしょうか?

なぜ、卒業生と面談しているかといえば、主に、こんな目的のためです。

1 正式な合否の結果を受けて、精神的な状態や社会的・経済的状況を確認したい
2 残念な結果だった卒業生が、来年、合格するために、なんらかのお手伝いをしたい
3 今後、同じような思いをする医学生が出ないよう、その貴重な体験から教訓を得たい

ということでしょうか。

卒業生の方は、みんな、こんなことを言います。

「医師国家試験の浪人というのは、医学生とは社会的立場が弱いように感じる」

大学を卒業しているのですし、医学生よりも社会的な立場は強くなるように思いますが、実際には、その逆の感想を持つ方が多い。もちろん、正式に不合格と通知を受けたことによる精神的なダメージにより、自らを矮小化してしまう心理状態に陥る方もいるかもしれません。
でも、たとえば、こんな実例をあげる卒業生がいました。

「医学生なら、マンションを貸せるが、無職の人には貸せない、と、マンションの大家さんに言われた」

厳しい現実ですね。
私は、国家試験に合格できないようであれば、無理して医学部を卒業することはなく、留年して、医学生と言う社会的立場を維持するようにした方がよい、と、思ってさえいます。

全国平均の合格率が90%を超えるような試験、とはいえ、それは、全国の医学生の皆さんが、しっかりと勉強するから、そのような数字になっているのだ、と思います。平均の合格率の数字から、この試験は簡単なのだ、ということはあてはまらない、と思っています。
ある卒業生は、こんな感想を言っていました。

「本気で、きちんと準備をやれば、数ヶ月もあれば、この試験には合格できると確信している」

まったく、その通りだと思います。
この言葉の大事な所は、「数ヶ月は、本気でがんばる」ということですよね。このことを、医学生たちにきちんと伝えておきたいと思っています。

虎穴に入らずんば、虎児を得ず 1

医師国家試験の残念な結果をずっと、考えています。

自分自身、大事なことを忘れていたのかもしれない。
本気で、彼らに向かっていなかった。人任せにしていたのかもしれない。
彼らが、そのポテンシャルを十分に発揮できるように、するべき努力をしていなかった。きちんと果実を獲得するには、本気にならなければいけないこと、死ぬ気になってがんばらなければならないこと、を、理解させていなかった。

彼らから、逃げていたのかもしれない。
彼らと一緒に汗をかかなければ。教員失格だな。
このキャンパスを選んでくれた学生たちがつらい思いをするのを見たくない。

やるときは、やらねば 1

第103回医師国家試験の結果が発表されました。

全員合格を祈っていましたが、とても残念な結果でした。というか、悔しい。
はっきりいえば、

「やるときは、やらねば」

残念だった方は、この辛さに、必ず、来年は合格するよう頑張るだろうと思いますが、ならば、最初からがんばれたはずなのです。

こういう資格試験は、合格しなければ意味がありません。そして、そのためには、本人がやるしかないのです。

こんなつらい思いをする学生は、少なくとも、うちの学生たちからは絶無にしないと。
さっそく、4月からビシバシやるしかない。

もう一度、繰り返します。

「やるときは、やらねば」

つらい思いをするのは自分だから。

第103回医師国家試験の合格基準は、

一般問題を1問1点、臨床実地問題を1問3点とし、(1)〜(4)のすべての合格基準を満たした者を合格とする。

(1)一般問題     125点以上/198点
(2)臨床実地問題  380点以上/591点
(3)必修問題     160点以上/200点
但し、必修問題の一部を採点から除外された受験者にあっては、必修問題の得点について総点数の80%以上とする。
(4)禁忌肢問題選択数  2問以下

教育は、バランスが大事

教育の仕事を続けてきて、思うこと。

教育は、バランスが大事ってこと。

毎日、実感しています。

たとえば、卒業試験の出題内容は、彼らが数ヶ月後に受験する予定の医師国家試験と似たようなものがいいのか、あるいは、6年間の医学教育の総まとめとしてのアカデミズムを追求したものがいいのか(これは、医師国家試験がどうしても、研修医となる医師として期待されている最低限の知識を網羅したものが出題基準となるので、最先端医療の成果を問うような出題が少ないことがあります。そもそも、マークシート方式ですし)。
あるいは、競争心をあおるような教育指導がいいのか、結果平等的なものがいいのか(努力をした学生がよい果実を得る、というのと、どんな学生もみな公平によい教育サービスを享受できることと、どっちが大事なのか)
面接の入試では、面接や小論文だけでなくセンター試験の結果を加算すべきか、それとも、センター試験は予備選抜として位置すべきか。

よく二者択一で議論されやすいのですが、なかなか、どちらが一方的によい、という結論はでないように思います。もちろん、様々な過去のデータを十分に解析すべきですが、結論は出にくいことが多いです。エビデンスが出にくいという性格を持っています。(もちろん、常々、エビデンスは探さなければなりませんし、可能なら、エビデンスを作り出さねばなりません)
よく、
「教育は、信念である」
と、言われます。確かに言い得て妙と思います。信念がないと、どんな新しい教育カリキュラムを導入しても、表面的な模倣にすぎず、「仏を作って魂を入れず」という感がぬぐえません。学生を、まるで実験モデルのようにするのは、危険だと思っています。

エビデンスが得られないことについて、「教育は信念で行うものだから」とかわしていくのは一つの方法だとは思いますが、もし、現場で学生や教員たちが右往左往し、悲鳴を上げている状況を無視して、涼しい顔をして、そんなことを言っているのであれば、これも悲劇だと思っています。

教育には、信念が大事。そして、その信念の実施においては、現場感覚が不可欠。バランスですね。

言うのは簡単ですが、実施は容易ではありません。

今日は、卒業式だった。 5

今日は、卒業式でした。先ほど、謝恩会も終わりました。
このクラスは、6年前に入学式で出会ったときから、なんだか印象深い学年で、とても優秀な学生から、型にはまらないような個性的な学生まで、とてもバラエティーに富ながら、かつ、まとまり感のある、うらやましいぐらいの学生たちでした。

実は、この時期は苦手なのです。みんな、晴れやかな顔をして、きらびやかな服を着て、胸を張って、私の部屋にあいさつに来てくれるのですが、みんな、眩しくて、こっちはどんな顔をしていいのか、困ってしまうのです。毎年。
なんだか、大事な仲間たちが、手の届かない遠くへ行ってしまう感じで、なんか、寂しいのですね。かといって、ずっといてもらっても困るのですが。笑。

あさって、国家試験の結果が発表ですが、全員合格を確信しています。4月からは、みんな、待ちに待った医師ですね。大変なことも多いと思いますが、自分を信じて、がんばっていってくれることを祈っています。

なんと、謝恩会で、学生たちから、胴上げされてしまいました。本当は、彼らが祝福されないといけないのにね。
メタボの体を持ち上げてくれてありがとう!!こんなことなら、もっとダイエットしておけば良かったなあ。

医学部の入学定員を卒業定員より多くするアイデアについて

医学部の入学定員を卒業定員より多くするアイデアについて、
ご質問をコメントにたくさんいただくので、新たにページを立てて、このアイデアについて、考えてみたいと思います。
元のページは、以下のページです。

http://nakaikeiji.livedoor.biz/archives/51516902.html#comments

我が国では、医師数の制限を、医学部医学科の入学定員でコントロールしています。これは、何を意味するかといえば、医師国家試験の合格率も全国平均で90%ぐらいあることや、留年率も、国立なら、5%ぐらいではないかと思いますので、医学部医学科に入学してしまえば、90%近い確率で医師になれるということが保証されているということなっているわけです。
もちろん、ものごとには良い面、悪い面がありますから、いい面もあります。

医学部に入って、医師をめざす学生たちの一部に、医師になるという意欲や動機について、?がある学生が少なくありません。もちろん、いい学生がたくさんいますから、大丈夫です。ほんの一部の学生です。割合で言えば、10%以下と思います。私が、毎日、心を痛めているのは、このような学生の中に、将来90%以上の確率で医師になることが社会から保証されていることについて、十分に理解が足りない学生がいることです。
繰り返しますが、ほとんどの医学生は、よい学生だと信じていますし、実際、何も問題はありません。

私は、この仕事をしてきて、新しい教育方法なども実際に担当してみて、数年前から、この一部の学生を客観的に見つけ出すことができることに気付きました。そして、毎回、新しい学年にそのことを当てはめていますが、うまくできます。ただ、このことは、この大学で、私が初めて気付いたのではなくて、すでに、他の科目の主任教授の先生方の中に、それぞれの担当科目の授業や評価の中で、そのスキルを身につけておられる先生がおられます。
でも、これらの評価方法は、やはり、1年以上継続して、学生たちの医学学習の経過をみながら、その成果をもとに行動や価値観を判定することができるように、評価を蓄積して解析することで可能になっていることなのです。
データとして収集しているものは、ペーパーテストの、単純記憶能力だけではありません。テストでは、単純記憶量だけでなく、論理性を問う問題もたくさん出題しています。レントゲン写真や血液検査の結果を解釈する能力も評価しています。さらには、遅刻や欠席、Tutorとしての教員からの評価や同級生の学生同士の評価などもあります。
このように、様々なパラメーターを収集しているのは、ペーパーテストで実施されている医師国家試験だけが医学教育の目標ではないと思っているからです。そして、残念ながら、一発勝負で、医学と直接関係のない科目のペーパーテストによる、現状の入試では、それは、不可能なのです。(きちんとしたAO入試なら可能と思います。でも、それには、最低1週間は試験期間が必要です)

なので、今の入試制度では、不合格になった学生の中に、医学生として、良いポテンシャルを秘めた学生がいるはずだし(例えば、現役で不合格、一浪で合格になった学生の中には、凄い医学学習の能力を発揮する学生がいます。現役で不合格になったのが不思議な気がします。浪人の間に成長したのかもしれませんが)、合格になった学生の中に、残念だけれども、ほんの一部だけれども、不合格になった学生にその入学の権利を譲ってもらいたいとさえ思ってしまう学生がいるという現実があるからです。
でも、落第させにくいのです。そういう学生でも、医師になるとしてカウントされているからということもあります。

前のページに質問のコメントをいただいていますので、それに答えます。

「学生の数を絞り込む中で、小さなころから勉強してきた人つまり進学校の人の方がIQが高く有利ではないかということ。これでは今と大して変わらないのではということ。」
単なるペーパーテストの評価だけで、表面的な暗記量だけを測定して、評価するのではありません。いわゆる「受験偏差値」での評価ではありません。様々な評価軸を組み合わせて評価します。価値観や行動指針を評価したいと考えて、それらの結果としての行動結果を評価したいと考えています。ご指摘通り、大学受験と同じことをするのであれば、全く意味はありません。

「医学生を相手にした受験産業が栄えるのでは」
最初の質問にお答えしましたように、単なる表面的な評価を繰り返すつもりはありません。だから、いわゆる受験産業が栄えることはないと思いますが、もちろん、学生たちが自主的に、大学以外の場所でも、自らを成長させるために努力することは、よいことだと、思いますので、それを”受験産業”と呼ぶのかどうかはわかりません。

「医学部に入学できたのに卒業できない学生の進路」
これは、この制度の最大の問題点です。以前にも、このアイデアについては、このブログで書いており、そのとき、大きな2つの問題点があると書きました。1つが、このご指摘の点です。医学部に入学できたのに、卒業できない、という、たくさんの(気の毒な?)学生が生まれます。医師として優れた若い医師たちを養成するために。欧米では当然のことなのですが、日本では教育において、今まで、このようなことがなかったので、社会にも、こういう学生を受け入れる素地がないように見えます。入学を許可しておいて、途中で放り出すのは無責任かもしれません。入試で不合格になる、優秀な受験生のための制度が、実は、入学後の成果によって、大学から放り出される学生を生んでしまいます。
でも、私は、よい医師をめざして、一生懸命にがんばって、そして、すばらしい成果を生み出す医学生に対して、より大きな責任を持っていると思っています。それが、社会のため、患者さんたちのためになると思っています。医学教育と言う仕事をしている私に課せられた社会的使命は、将来のよい医師を生み出すことであり、不適切な医師を出さないことであると思っています。
途中で、医師になる夢をあきらめてもらう医学生たちですが、自分たちの行動の結果であり、でも、その夢をかなえるチャンスは現状よりも広がっての最終結果ですし、現状より悪いということはないと信じています。これが、今より、フェアな形だと社会が容認してもらえたらと思っています。
もう一つの、この方法の問題点は、「医学教育にかける社会的コストが高くなる」ということかなと思います。学生数が増えますし、緻密な評価を長期間にわたって継続して行いますから、人的資源も、大学のリソースもかなり消費します。IT技術を用いて、効率よくできるようにしていますが、やはり、よい教育には、手間がかかってしまいます。その点を、社会が容認してくれるかどうか、ということが、2つめの問題点です。(007さんが、ご指摘のとおり、現状のやり方でも、90%以上の医師は、よい医師なので)

でも、(ほんの一割以下の)よくない医師の代わりに、偏差値重視の医学部受験で涙をのんだ、でも、医師としての素養には勝っている受験生を医師にしていくことができればなあって、入試の結果をみながら、思っています。

ということで、私のアイデアを、詳しく述べさせてもらいました。実際には、この国の政策の基本から変えないと無理だと思いますので、単なる思いつきのレベルを超えられませんが。

「103回は、今までと、全然違いました」

先日、行われた第103回医師国家試験を受験した6年生が、あいさつに来てくれたので、試験の出題傾向やその対策方法などについて、いろいろ、尋ねてみました。

「やっぱり、全然、傾向が違っていたの?」
「そうです、先生。全く、違っていました。第101回や100回などとは全然違います。102回とも違うように思いました。無茶苦茶な順番で出題されたのは、僕にとっては、別にそれでよかったですが、面食らった学生も多かったみたいです。」

「そう、それは、大変だったね。そういう試験の対策は、どうすればいいと思う?」
「そうですね。結局、過去問ばかりを解いて覚えるのではなくて、やはり、実際の医療の様子をしっかりと経験して、そのとき、そのとき、医師が何を考えて、何を選択するのか、を、知るのが必要かと思いました。」

臨床実習において、医師がやっていることをみて、なぜ、そうするのか、どうしてそうなるのか、何を考えているのか、と、問題意識をもって、積極的に学ぶことが大事と言うことですね。ただ、ぼ〜と、そばに立っているだけではだめ、ということでしょう。
クリニカルクラークシップ(診療参加型臨床実習)ですからね。

来年、第104回を受ける5年生たち、しっかりと、臨床実習に取り組んでおいてください。
何度もいいますが、医師国家試験に合格することは、医学を学ぶ、最低限の目標であり、それだけを最終目標にして、医学学習に取り組むことでは、全く、十分ではありません。そういうことですね。

しかし、臨床現場で学ぶというのは、実は、鋭い観察力、深い洞察力、そして的確な思考力が必要です。もちろん、そのためには、正確な医学知識も欠かせません。同じ診療場面を経験しても、個々の学生の持つ学力によって、自ずから、感じられるものも、得られるものも違ってくる、そういうもののようです。
ということから、臨床実習を受けながら、学生同士で、あれこれと、討論をして、意見交換、情報共有をしていくプロセスが大事かもしれません。「三人寄れば文殊の知恵」とはいいますが、それぞれ、別の方向から、違った価値観で見ているということにより、自分では気付かなかったものに気付くことができる、ということでしょう。

「鑑別診断を挙げることは、とても大事」

第103回医師国家試験を受けた6年生のコメントが集まってきたので、紹介します。

「体力的にしんどかった」

医師国家試験は、土曜日、日曜日、月曜日と、計3日間続きます。500問ぐらいの問題を解きます。これは、頭脳だけでなく、身体的にも厳しい試練ではないでしょうか。また、試験会場には、やはり、独特のムードが漂っており、このムードにも流されない精神力も求められていると言っている6年生がいました。実際、そのような効果が、狙ってのことなのかどうかはわかりませんが。

「例年と異なり、難しかった」

これは、ほぼ、全ての6年生が言っています。問題の内容、出題順序など、いろいろ、変化があって、とまどった学生も多かったようです。でも、きちんと本質をとらえて勉強をしている学生にとっては、別に、出題順序などは問題ないので、逆に有利かとも思いました。うちの学生たちは、大丈夫でしょう。

「鑑別診断を挙げることは、とても大事」

医師国家試験では、試験問題を難しくする、正答率を下げる、ためには、大きく分けて、2つの方向性があると思っています。なんのために難しくするのか、という問題がありますが、それは、あとで述べることとして、正答率を下げるための方法の1つは、あまり一般的でない疾患をとりあげることです。過去問の問題集にもないような。これは、正答率が低くなりますよね。でも、稀な病気の知識ばかり勉強されても困りますので、あまり、正攻法ではありません。
2つめの方法は、とりあげる疾患は一般的なものにして、でも、問題文にあげられている情報量を絞り、あれこれと考えさせる問題です。鑑別診断を考えさせる問題ということになるでしょうか。これは、「考えさせる問題」「考える能力を判定できる問題」として、より、妥当性がありそうです。なんのために、正答率を下げるのか、という目的論的にもよい方向性と思います。ただし、きちんと吟味しての工夫をしないと、非現実的な出題内容になってしまうかもしれません。つまり、奇問系になる危険性があります。今年は、このような問題が多かったとの感想でした。なので、「採点除外問題が多いかも」という意見もありますね。

このことについて、ある、優秀な6年生の方からは、
「鑑別診断をあげることは、とても大事だと思いました。友人たちの間では、出題の順序がバラバラなのも含めて、鑑別診断重視の方向性を、”国試のプライマリケア化”と名付けています。」
とのコメントをもらっています。プライマリケア重視の方向性は、卒後臨床研修必修化やクリニカルクラークシップとチュトリアル教育の広がりと流れを1つにしたものだと思っています。アメリカのUSMLEに似てきていると言えばいいでしょうか。
3年生のチュトリアル教育から、病態メカニズムや臨床推論、鑑別診断を学ぶように、と、いろいろ工夫を重ねている、医学教育担当の教員として、好ましい方向性だ、望む所だ、と思っています。

「復習の国試」

これも、その6年生の方が言っていましたが、1日目に出た問題とよく似た問題が、3日目に出たりしていたそうです。ということで、1日目、2日目の夜、昼間出た問題をきちんと見直して、復習しておくことが大事だと思ったとのことでした。
実は、このことは、数年前、第100回の頃から、私も気付いていまして、6年生たちにはいつも言ってきています。「試験期間中の見直しが、とても大事だよ」
でも、これって、医師としての基本的な姿勢ですね。「患者さんの診療でわからなかったことに出会ったら、きちんと調べ直して、学び直しておく」この繰り返しが、名医への道だと思っています。「名医は一日にして成らず」です。

医師国家試験、いろいろ、工夫されているようです。

共用試験CBTが無事に終了しました 5

医学科5年生の臨床実習への進級要件とされる、医学科4年生の共用試験CBTが、本日、おこなれましたが、無事に終了しました。さきほど、学生全員の答案データをCD-Rにコピーし、東京の実施機構に送付する手はずを完了させました。

正確には、いくつかのトラブルがありましたが、最終的に、予定通りに終わりました、というのが正しいのかな。コンピュータを使った試験ですから、結局、機械ですので、なにがあるかわからない、というリスクがあります。100台ものコンピュータが同時にきちんと動くか、サーバとちゃんと通信できるか、運営担当の教員としては、本当に心配の種がつきません。

去年は、朝から、急な降雪と積雪で、試験開始時間を、急遽、1時間遅らせるなど、ハプニングもありました。「人事を全うして天命を待つ」とは、うまく言ったものですね。でも、それに動揺することなく、去年の4年生たちは、すばらしい成績をマークしてくれました。うれしかったです。

今日、一人も欠席も遅刻もなく、万全の体調管理に安堵した所です。今年の4年生たちも、しっかりと勉強に取り組んできていましたので、彼らの実力がきちんと発揮されて、正しく評価されるように、と、念じるような気持ちで、こちらも、準備とサポートをしてきました。
この試験、当の学生たちが一番、結果が気になると思いますが、実は、教育担当の教員としても、その結果がとても気になるものです。「テストなんて、一部の表面的な能力の評価でしかない!」って、いつも、学生たちには言いつつ。共用試験CBTは、通常のペーパテストではないので、かなり、いろいろ、工夫がなされており、いつも、感服しています。
今年の4年生はどうでしょうか。
インターネットでの他大学の学生の感想からは、なかなか、今年のCBTは手強い、との情報もありましたが、今日、朝9時前から、6時間以上に及ぶ試験が終了した後の、うちの学生たちの表情をみていると、今年も、例年通り、よい成績であるような気がします。

みなさん、お疲れさま。私も疲れました。

多様な入試選抜って、本当に難しい(できるのか?)

入試シーズンなので、入試のテーマになってしまいます。
でも、特定の大学の特定の入試について述べているのではなくて、一般的な話ですので、よろしくお願いします。

先日、我が国で行われているAO入試の不思議さについても書きましたが、この入試にしろ、面接や小論文にしろ、多様な入試選抜の実施が求められていますね。その結果としてのAO入試であり、面接やグループ討論などであると思います。
で、その背景には、現状の入試制度の問題があるということですよね。その改善のために、多様な入試選抜制度が求められていると、こういうことでしょう。

「現状の、日本の大学入試は、客観性(再現性・平等性)を最優先に求めるあまりに、結果としてペーパーテスト重視、偏差値偏重になってしまった」、そのような評価方法には「妥当性」が劣るのではないか。たとえば、「医学部入学選抜で、数学の偏差値を重視して選ぶと、医師としての人格、人間性についての評価が不十分なのではないか」という指摘があるわけです。その問題認識は、私も共有しています。実際に、うちの大学を選んできてくれている学生たちをみていても、そのことを感じます。国立大学医学部医学科の入試ボーダー偏差値は高すぎると思います。また、理数系の評価偏重過ぎ、とも思います。

ひいては、「日本の医師や医学のレベルが、(もし不満足なものであるなら)、その原因は入試選抜にある」とまで、言われてしまう。この点は、私は、別の考えがあります。

でも、この理由は、入試制度だけが原因でしょうか。他に原因はないのでしょうか。入学後のカリキュラムも含めた、この国の大学教育に、本質的な問題があるのではないか、と思っています。
というのは、表面的に、「多面的な入試選抜」を行っても、「入学した学生のレベルが低い」「多面的な入試選抜制度には客観性があるのか」という批判があり、さらには、「多面的な入試選抜方法に、そもそも妥当性があるのか」という声すらでてきます。そして、「多面的な入試選抜は失敗だった」との評価になってしまう。それに、そもそも、そういう入試選抜制度がメインにはならない。あくまでも、オプション的だったりする。

入試選抜制度に、完璧なものはないのではないか。完璧な「客観性」と「妥当性」がある評価方法なんて、実現不可能なのではないか。だから、その求められる程度を、100%の完璧から、落として行かねばならない、しかも、「客観性」を落とすのは難しいから、「妥当性」のほうを我慢して、「客観性」を重視する結果になっているのですね。

なぜ、「客観性」が重視されるのか。
それは、入学した学生のほとんどが、そのまま卒業できるからです。医学部医学科でいえば、医師となるにあたり、最大の難関は、実は医学部医学科入試です。国立大学であれば、入学してしまえば、ほぼ90%近い確率で医師になれます。そこに本質的な問題があるのだと思っています。
このメリットは、医学部や大学教育にかける社会的負担が小さくてすむ、ということなのかなあ。よく、日本の大学教育の社会的コストは、欧米の先進国の数分の一、そして、先進国ではない国よりも少ない、と言われていますが、それは、それだけ安いコストで高等教育が実施できている、ということですよね。

しかし。
「完璧な入試選抜制度は存在しない」という前提にまずたち、そのためには、入学後の教育カリキュラム、そして、進級・卒業判定をしっかりとやっていく。
(高校生の数学や物理の成績をもとに、しかも、1回の試験で、医師としての適性をみるよりも、医学部入学後、医学を学ぶ姿を長期間観察して何度も評価する、方が、より「妥当性」がある評価に近づくと思いませんか。もちろん、「信頼性」もある一定のレベルにできる自信があります。1回の入試の面接よりも、もっと長期にわたり、複数の教員が、各学生の様子を見て行く方がより「信頼性」もあります。これを、「入学後のAO入試」と、以前に書きましたが、そもそも、本来のAO入試は、大学教育カリキュラムの先取り「仮入学」のようなものなので、当然ですね。)

大学教育、卒前教育をきちんとやるのであれば、入試定員枠を広げることが可能となり、医学部に入学できるチャンスも広がり(卒業できるかどうか、医師になれるかどうか、の確率は低下するかもしれないが)、受験生にもメリットがある。

医学部だけでなく、大学の入学定員枠は各大学が自由にできず、厳密に運用されているので、実は、なかなか、簡単ではありません。100人の入学定員なら、100人の卒業定員ということになっています。

うちの大学で言えば、きちんとした卒前教育の実施はほぼできている(自画自賛だなあ。笑)ので、あとは、「転向した方がよいと評価された医学生への適切な支援」ということになります。実は、ここが一番難しいのかも。でも、理数系に優秀な学生なら、やはり、物理学や経済学の分野に進んでもらうほうが、社会にとっても人類にとっても、プラスではないかと思います。医師としての適性には合致しないのであれば。

「content of their character」による評価

オバマ大統領ネタで続けます。

ニュースをみていますと、キング牧師の有名な演説が紹介されますね。
「I have a dream」
という、例の。とてもすばらしい演説だということで、インターネットで原文を読んでみました。

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.
(私には夢がある。私の四人の幼い子ども達が、いつの日か、肌の色ではなく人格そのものによって評価される国に住めるようになるという夢が。)

この演説は、「color of their skin」での評価が非合理であることを言いたいのであり、その対極としての「content of their character」についてしっかりと述べているものではないとは思います。でも、私も、医師国家試験でも、大学の医学部受験にも、そして、毎日の医学生を評価する仕事にも、あてはまることだと思いますが、そうやって、キング牧師が言うように、人間を評価するときに、「content(中身)」を評価できないものかと、この仕事をしながら、ずっと思う気持ちがあります。

もちろん、日本の医学部や医師国家試験が、「皮膚の色」など、人種差別があるわけはありません。(もしかしたら、大学によっては、「年齢」や「性」での差別があるかもしれないし、ないかもしれない。うちの大学ではありません。でも、うちの大学も含めて、日本のほとんどの医学部で、「居住地」での区別が、特別に、限定的に、導入されましたが。でも、医療サービスが十分に行き届かない居住地を、部分的に、特別扱いするのは非合理とは言えないかも。差別を受けてきた人たちに特別な配慮をするのと同様かなあ。)

そうではなくて、私が感じているのは、「content」の評価ができないものかと思うのです。どういうことかといえば、日本の現状は、ペーパーテストなど「客観性」のある評価を重視するあまり、「content」の評価が十分ではないのではないかと、このように感じているからです。先日から、このことについて、ずっと考えています。

でも、私の心の中には、もう一つの対立軸を持っています。
「content、特に、content of their characterによる評価を行うことができるのだろうか」ということ、言い換えれば、「content of their characterによる評価で、十分な妥当性があって、かつ、信頼できる客観性がある方法があるだろうか」ということです。人間には到底無理で、神様(もちろん、宗教的な意味ではなくて、絶対的な価値観のことね)にしかできない「神業」でないのか。さらに、すすめて、「content of their characterによる評価が、実際に行われたら、そこは、理想的な教育現場なのだろうか」ということです。もしかして、公民権運動の成果が達成される前の「暗黒の時代」かもしれないということです。

このことについて、誰か、答えをお持ちではないでしょうか。

私が、この仕事を6年以上してきて、わかってきたのは、現状では、「content of their characterによる評価は困難である」が、「content of their characterに基づく価値判断や行動結果をもとに、contentを評価する」ことはできるかもしれないと思っています。
「content of their characterによる評価」は、テレパシーか、読心術でも使わない限り、困難であろう、と思うのです。とても、客観性のある測定ができるとは思えないのです。なぜなら、それ自体が内在的で、抽象的、だからです。
だけど、内面的なcontent of their characterが外形的、表面的に見える状態になるとすれば、それは、「content of their characterに基づく価値判断や行動結果」かなと思います。それを、客観的に測定することはできるかもと、いろいろ、試行錯誤を続けています。

試験成績がいつも凄い学生

6年生の試験の成績集計がすべて終わりました。
全体をながめさせてもらったのですが、なかなか、感慨深いものがあります。

12月の末に、国家試験を模して、300問ぐらいの試験をしたのですが、平均正答率が85%を超えていました。まさか、問題が漏れていたということでもないのでしょうが、なかなか、すばらしいなあって、感動!(笑)しています。
トップの学生をみれば、300問中、不正解の数が10問程度。正答率は、97%を超えています。すごいなあ。

テストの採点をさせてもらうことがありますが、トップの学生の成績には、いつも、感嘆させられます。自分が学生だったときを思い出すと、恥ずかしいぐらいです(笑)。
優秀者の層には、チュトリアルや共用試験CBTでも上位だった、常連組がずらりと並び、やっぱりそうなのかなあ、って感じです。彼らの成績の安定さ、つまり上位固定率、にはいつも驚かされます。どんなに勉強しているのでしょうね。その努力には、素直に敬服します。その調子でがんばれ。
でも、上位層をみていて、気付いたことが。いままで、あまりここに顔を見せたことがない、それどころか、平均点以下であることが多かった学生の名前もみつけました。これもうれしい。かなり努力をしたに違いないでしょうね。しかも、いわゆる、一般問題と言われる、基礎医学領域の問題もきちんとよい点をマークしています。前にも書きましたが、一般問題の点を上げるのは簡単ではありません。そのことを実現することができる学生もいるのです。毎年、びっくりさせられています。

(だからって、低学年の頃は、そんなに勉強しなくてもいい、って思わないでね。5ー3年生のみなさん。だって、6年生のこの時期に、ググッと成績がアップする学生ばかりではないからです。がんばっているのかもしれませんが、残念ながら、結果がついてこない学生の方が多いかもしれない。こちらに固定されているような学生も珍しくありません。なので、基礎医学の知識をしっかりと。また、科学的な、論理的な、思考力もしっかりと磨いておいて下さい。)

最近、出会う6年生の中には、なんだか、さばさばした顔の学生もいて、どうだい?
って、聞いてみると、
「もう、すべきことはほとんどしてしまいました。模試の結果もいい感じなので」とのこと。
「そうかい。それは、すばらしいね。ということは、明日にでも国家試験をやってくれ、って感じかね?」と、笑いながら聞きますと、
「そうですね。早く終わって欲しいです!」って、返事。いい感じですね。

今年の6年生は全員合格してくれるだろう、と確信は深まりつつ。あとは、「人事を全うして天命を待つ」ってことかな。
ところで、今年のインフルエンザは、ワクチンが有効でないタイプかもしれないらしいし、タミフルに耐性を持つ株も見つかっています。十分に注意して下さいね。
これは、医師国家試験の6年生だけでなくて、医学部受験の受験生のみなさんにもね。

「勉強しているのに、テストで合格点になりません」

先日、PBl-tutorial教育が3ヶ月目になったぐらいのころ、3年生が部屋を尋ねてくれました。

「先生、9月からのチュトリアルですが、アチーブメントテストで合格点に届きません。勉強もしているのに、どうしてでしょう?」

こういう相談や質問は大歓迎です。というのは、医師としての成長に不可欠な自己アセスメント、内省のプロセスであり、また、問題解決のプロセスをきちんと動かしているからです。彼は、きっと、すばらしい医師になってくれるだろうなあって思います。

こういう質問はよく受けます。うちの大学のPBL-tutorial教育のアチーブメントテストは、わざと、「勉強している」学生が苦労するような、そういう問題や評価方法での出題を積極的に行っているからです。
え、と思われた方がいるかもしれませんが、こういうことです。

このような質問を受けたとき、私は、以下のようにまず応えるようにしています。

「勉強してるって、いいね。でも、あなたの言う、勉強って、どんなことなの?」

そうすると、半分ぐらいは、「勉強と言うのは、テストの対策勉強のこと」で、具体的に例をあげてもらうと、大体、過去問を丸暗記したり、先輩からもらった簡便な本の簡略化した記載をそのまま丸暗記することを指しています。
そういう勉強法では、点が稼げないようなテストをしたいと思っています。そのような勉強方法で、よい点を取るようなテストは、医師としての成長を促すような妥当性のある、よいテストではないと確信しているからです。
もちろん、丸暗記をしてでも頭に入れなければならない知識体系があるのも事実ですが、それらを記憶する必要があるのは、それらの知識をもとに、新たな判断をする能力が求められるからですので、暗記することだけで安心してはいけません。ネフローゼ症候群の診断基準を丸暗記する必要があるのは、浮腫をきたした患者さんの診療、問題解決をきちんと行うためだからです。

で、テスト直前の対策勉強を勉強だと思っている学生の場合は、「テスト前だけでなくて、日頃から、きちんと学習に取り組んで下さい。しかも、丸暗記するだけではなくて、どうしてなのだろう、なぜなんだろう、と、疑問をもって、考えることもしながら、学習してみたらいいよ」と、アドバイスするようにしています。

そうではなくて、きちんと、勉強しているのに、テストで点が反映されない学生もいます。その場合に多いのは、テストの解答方法に慣れてない、わかっていない場合です。これは、せっかく勉強しているのに、気の毒でもあり、もし、出題方法に問題があるのであれば、こちらもフィードバックして改善しなければならないと思っています。
でも、出題には問題がなくて、という場合は、こういうケースが多いです。

選択式の問題なら、点を取れるのに、記述式の問題で点がとれない。

記述式の問題の場合は、聞かれていることにきちんと正確に、論理性のある回答することが重要と考えています。というか、出題する側は、正確な知識や誤りのない論理を構築できるかどうか、をみたいと思っているのです。つまりは、深いレベルの理解ができているかどうか、ということですね。

例をあげようと思います。
元気な30歳代の方が、1週間前からの発熱、咳、喀痰で、その胸部レントゲン写真が示されている場合。
レントゲンでは、明らかに、いわゆる大葉性肺炎の像が見えています。肺胞に浸出液がたまり、有名なairbronchogram(気管支透亮像)が見えているケースです。(学生にテストで出題するケースは、このように”典型的な”ケースを出題するようにしています。)
このようなケースで、以下のような設問がある場合です。

問題:この患者さんに予想される病原微生物にはどのようなものがあるか、複数あげなさい。

このような問題は、アメリカのUSMLEを見るまでもなく、実践的な問題、また、記述式といえど、かなりの客観性のある評価ができる問題と思っています。
正解は、肺炎球菌、ブドウ球菌などのグラム陽性球菌のほか、さらに、インフルエンザ桿菌という、有名なグラム陰性桿菌をあげていると満点という採点基準になるかと思います。あくまでも、市中肺炎での「典型的な」起炎菌の知識を聞いているのですね。
だから、緑膿菌やMRSAを挙げると正解にはならないのです。ウイルスだけをあげている場合は、論外です。もちろん、学術的には、そのような「稀な」ケースがあるのは知っていますが、学生のテストにおいて、それだけを挙げる場合は、そもそもの正しい知識を知らないからだと、こちらは判断せざるを得ません。もちろん、そういうことが「稀で」「貴重で」あるのは、通常の病原体を知っているからですしね。そういう意味からも、「典型的な」場合のことを知っていることは不可欠のことです。

そして、こういう問題では、答えは1つではありません。それは、現実の診療がそうだからです。
このようなときに、「肺炎球菌」しかあげられない方は、よい臨床医にはなれません。学生の側にたってみれば、できるだけ記憶量は少なくしたい、絞り込みたい、というのが本音だと思いますが、定型的な大葉性肺炎の患者さんを提示されて、予想する病原体をたった1つにしてしまうこと、これは絶対に譲れない点です。なぜなら、このようなケースは、Common Disease(よくある疾患)であり、しかも、治療薬選択において、とても重要な判断の理由になる知識だからです。インフルエンザ桿菌が予想されることを忘れていると、抗生物質の選択を誤る可能性があります。だから、です。

このように、正攻法で行くしかないと思います。医学の学習には、王道しかないと思います。そのようにして勉強し、テストでも、そのように回答してね、と、アドバイスするようにしています。

そうすれば、ほとんどの学生が、その数ヶ月以内に、すばらしい点数をマークするようになり、また、ポートフォリオなどの日々の提出物の内容も、すばらしいものに変わっていきます。
この仕事をしていて、よかったなあって、実感できるときです。

教育は、手間もかかるし、時間もかかるものだなと思います。それを惜しんじゃいけませんよね。

「大学の専門学校化」の是非

今朝の朝日新聞に、大学の専門学校化の傾向があるとの特集がありました。
大学生が、卒後の進路選択などが有利になることから、専門資格を取得することをカリキュラムとして位置づけている大学が増えているとの記事でした。
医学部の教員として、この記事を興味をもって、しかし、いろいろ考えながら、読みました。

医学部は、医学科にしろ、看護学科や栄養学科にしろ、卒後に、医療専門職になることを前提として、学生の募集をし、カリキュラム(その専門職に必要とされる教育内容は、必修科目として中心に据えられていて、その内容は、文部科学省だけでなく、厚生労働省の担当部局の意向が強く反映されていたりする)を構築し、卒後の資格試験の合格率などは、その大学の教育レベルを推し量るモノサシとして使われていたりします。

なので、私は、「医学部は、大学ではなくて、専門学校なのではないか」、と、ずっと、ジレンマを抱きながら、この仕事をしています。
アメリカなどは、しっかりと割り切っていて、4年制の大学を卒業した、学士さんを対象に、Medical Schoolと名付けて、高等専門職養成のための専門学校として位置づけられています。弁護士を養成するLaw Schoolと同じです。

医師国家試験の大学別合格率は、試験を実施する厚生労働省が発表し、大新聞も好んで社会面に掲載する傾向があります。大学や文部科学省に対するプレッシャーとしての効果があるのかもしれません。
そもそも、医学部医学科に入学した1年生の90%以上が6年間ちょうどで進級して卒業し、全国平均でそのうちの90%以上が医師国家試験に一発で合格するということは、医師になるための最大の難関は、医師国家試験でも、医学部在学中の進級試験や卒業試験でもないわけです。最大の難関は、医学部に入る前、一番最初の入口である、医学部医学科の入学試験であるということになります。
うちの大学でも、入試の倍率は、例年、4倍から8倍ぐらいという、高い数字になっています。それだけ、優秀な方を選抜できているということになるのでしょう。うちの大学を選んでくれる受験生の方、ありがとうございます!

しかし、地方国立大学の医学部にいる教員としては、全国の合格率が90%ぐらいある資格試験の大学別合格率が、そもそも、何を評価しているのか、その大学の教育レベルをどの程度反映しているのか、いつも、疑問に思っています。トップレベルの大学は、100人ぐらい受験して、不合格者が0−2名というレベルです。この数値から、一体、何がわかるのでしょうか。
もし、ある程度、大学やその学生の学習達成度を評価したいのであれば、「大学別平均点」、「大学別合格者平均点」あるいは、ある一定点以上の学生数を大学別に発表する「大学別優秀者数」などを発表するのはどうかと思っています。だって、もともと、不合格者の数、とても少ないのですから。
とはいえ、この数字、伝統的に、社会的インパクトも大きいので、無視することはできません。
また、生身の学生たちを見ている現場の教員としては、数字ではわからない、学生たちの悲喜こもごもをみていますので、全員合格が目標となるのは当然のことです。

ということで、厚生労働省から課せられた医師国家試験は、入学試験が最大の難関であることなどからも、医学部医学科の教育カリキュラムの運営において、この資格試験を無視することができないことがわかっていただけるでしょうか。うちの大学でも、伝統的に、医師国家試験の合格率は重要視されてきました。自分が医学生だったときにも、そのような空気がありました。

つまり、もともと、「医学部は、医師国家試験合格のための専門学校化しやすい」性格を持っています。かなり、高等なレベルの専門学校だとは思いますが。

しかし、医学教育を担う立場になってみると、
「医師国家試験の合格率は大事で、もちろん、100%合格が理想であるが、大学教育としての医学教育は、それだけであってはならない、医師国家試験合格は最低限の目標として位置づけるものである」
と、思うのです。欲張りかな。

実際に、生の、医学生たちの科学的思考力やコミュニケーション能力、語学力、あるいは、人間性などに触れていますと、この国の受験戦争のトップレベルの学生であるはずなのに、基本的な論理力、たとえば、三段論法などの、演繹思考法や、あるいは、帰納法、あるいは、そもそも、生物学の知識が乏しい医学生や、英語がまるきし理解できていない医学生が、少なからず実在しますし、善悪の価値判断や社会常識に基づいた行動様式すら怪しい学生がいます。簡単にいえば、「未成熟」なのです。(そういう学生を入試選抜したのは誰か、とお叱りを受けることと思います。)当然ですね。18−19歳の大学生、ずっと、勉強ばかりしてきた学生も多いでしょうから、人間性を成熟させる場はなかったに違いありません。

ということは、そういう医学生も含めて、いきなり、専門学校的な教育カリキュラムを行っても、社会が求める医師像とは解離しているのではないか、と、不安に思います。6年間も大学に通うのに、本当に、もったいないことだなあって、思います。
「幅広い教養は、大学人として、科学人として、基本的に大事なことだ」と、アドバイスすると、「医師国家試験に無関係なことまで押し付けないで」と、逆切れされることもままあり。
それは、当然で、そもそも、入学当初の1−2年間や、あるいは6年間だけ、あるいは、教養の単位をどれだけ集めたって、医師として十分な教養が身につくはずもなく。じゃあ、講義を休んで、クラブや旅行、読書や映画をみたり、恋愛や失恋をすれば、いいのか? 

あ〜あ。やっぱり、時間がかかるんだよね。人間性や教養を深めるのは。

やっぱり、人間性が十分ではない医学生が実在するね。幅広く、深い教養を身につけるのは、医師になるためでも、医師国家試験に合格するためでもなくて、学問や科学を追究する者として、必要なことだと思うのです。
第一、臨床医としても、患者さんの問題点を捉えて、その解決を図るためには、医師国家試験で測定される医学知識はもちろん、ペーパーテストでは測定困難な、科学的論理性は不可欠ですし、コミュニケーション能力も倫理感を涵養する人間性も、皆、重要なのです。それらをしっかりと鍛錬できる教育の場になればいいなって、思っています。

ただ、これは、今の学生たちが悪いのではありません。彼らの周囲、つまり、この社会が、かなり、余裕がないというか、実利的な物事を追求しすぎなのだと思います。彼らは、それに応えるべく、努力をして来ただけ。

一般問題(基礎医学領域)の点数を上げるのは簡単ではない

数年前から、6年生たちの医師国家試験の準備状況を評価できるよう、いろいろとアプローチを繰り返してきました。
その中で、いろんなことがわかってきて、それを次の学年の学生たちにフィードバックするようにしています。できるだけ、たくさんの学生に、立派な研修医として活躍して欲しいから。

その中で、明確にわかってきたことのひとつに、「一般問題(基礎医学領域)の点数は簡単には向上しない」ということです。
医師国家試験には、大きく分けると、臨床問題と一般問題になります。これは、臨床医学領域と基礎医学の領域の問題という意味で、つまり、医師国家試験は、内科や外科などの臨床医学だけでなくて、解剖学や生理学などの基礎医学の問題も積極的に出題されているのです。

この一般問題ですが、なかなか、含蓄のある評価を示してくれるので、興味深いです。医師国家試験の出題側の考えは、おそらく、医学生低学年のころから、まじめに、医学学習に取り組んで来たのか、ということも評価したいのではないでしょうか。
つまり、6年生より以前、特に、2−4年生あたりで、どのぐらい真剣に医学学習に取り組んだか、ということが、ずっと尾を引いているように思います。実際に、6年生たちが低学年だったときに、どんな成績だったかを追跡調査してその相関などをみてみますと、明らかに、6年生の問題別正答率などからは、3−4年生のころの成績が、臨床問題の成績より、一般問題の成績のほうに、関連が高いことがわかります。3−4年生のころからがんばっている学生は、6年生でもよい試験点数をマークするし、低学年のころ、同級生と比較して、成績がよくなかった学生は、6年生の試験では、臨床医学領域はなんとかカバーしていても、基礎医学の領域は挽回しきれてない感じなのです。興味深いですね。

そして、さらに、一般問題の興味深い所は、6年生になって、一般問題の点数がかんばしくない学生がいたとして、その学生が、苦手とする一般問題の点数を飛躍的に改善しようとしても、簡単ではないようなのです。本当は、6年生になってあわてて、急に取り組むのではなくて、もっと、低学年のときに、きちんと学んでおけよ、って、こちらでは思うのですが、とにかく、6年生になってから、急に、一生懸命に勉強しているようですが、なかなか、点数があがりません。臨床問題はすぐに改善していくような経過をとる学生が多いので、まじめに勉強に取り組んでいると思われるのですが、そういう学生が、一般問題の改善がみられるのは少ないのです。不思議ですね。

なので、彼ら医学生に、国家試験対策の話をする機会があれば、必ず、一般問題を軽視するなと、口を酸っぱくして言うようにしました。というか、するべきときに、するべき勉強をしておけよ、って感じでしょうか。

ところで、今年の6年生たちの中には、いままでの学年と違って、彼らが4年生のころは、必ず間違えていたであろう、解剖学の問題などをきちんと正解する学生が増えていて、3年生の頃の成績と比べても、一般問題の成績がかなり改善している学生が見受けられます。
「おお、やるなあ。かなり、がんばったようだなあ」って、感じさせる学生が増えました。よかったよかった。そのがんばりには、素直に、賞賛を送ります。
(でも、やっぱり、基礎医学を学んでいる低学年のころから、きちんとがんばってくれよ、って思う気持ちは変わりませんが。笑)

本当に、今年の6年生たちは、よくがんばっているように思います。

医師国家試験対策勉強は、QBなどの問題集に引きずられてしまう

このブログで何度も書いているように、医師国家試験対策のための勉強は、どうしても、特殊な形態の勉強になってしまいます。問題集などを利用して、また、模擬テストなども受けながら、知識を整理していく感じです。
これは、本来の臨床での問題解決のための論理的思考や、学術研究的な深い知識や考えなどを涵養するような勉強とは、少し趣が違ってしまいがちです。とはいえ、アメリカでも、医師資格の試験USMLE突破のための問題集など、たくさん売られていますから、このような資格試験の総括評価やそのための準備対策というのは、こうなってしまうのかな。

うちの大学では、今年から、6年生の9月以降の試験の時期を、より国家試験対策の実践的なものに本格的に変更しました。数年前から、少しずつ、その側面を強くして来たのですが、3年ほどの準備期間を経て、今年から抜本的に変更したのです。その成果がどのようになるかは、まだわかりませんが、実際の成績やその変化などの管理担当の仕事をさせてもらったので、かなり、いい手応えを感じています。もちろん、大学のカリキュラムのおかげというよりも、彼ら6年生たち、それぞれが、しっかりとがんばったから、ですけれどね。あと2ヶ月を切りました。この調子で、がんばってくれればと思います。

今回、9月から12月まで、大小、計25回ぐらいのテストを繰り返しました。医学の広大な範囲を、今週は「循環器」、来週は「生殖」などと、テーマをきめて。どのように区切ってテーマを決めるか、それぞれのテーマはどのような順番でテストをすれば良いか、などは、このような仕事を6年前からやっていますし、毎年、きちんと医師国家試験にも眼を通していますので、かなりノウハウがありますので、多少、自信はありました。
最終日に6年生たちにアンケートをしたところ、「毎週の試験の範囲と順番はよかったですか?」という設問には、とてもよい30%、よい30%と、全体としては、ポジティブな評価をもらいました。よかった。
もちろん、様々な意見や感想をもらいたいと思って、自由記述欄もアンケートには設けたところ、このような感想が多くあり、安堵しました。

「毎週のテストの準備をしていくことで、そのまま、医師国家試験対策となり、よいペースメーカーになった」
「普通にテスト対策をしているだけで、国家試験の問題集を1クールはやり遂げることができました」

でも、こんな意見も散見されました。

「出題範囲が広すぎるテストと、そうではないテストの週があり、対策勉強にムラができてしまって困った」

おかしいな、今回のテストは、国家試験の傾向にしっかりと合わせたのに。

でも、これは、こういうことでした。
こちらが指定したテストの範囲に該当する部分の問題集を手に取ると、その週によって、問題集のページ数にばらつきがあったということです。問題集にそって勉強をするのは、医師国家試験直前の今は、しかたがないと思っていますが、しかし、そうすると、どうしても、それに引きずられてしまいますね。
しかし、実際に、医師国家試験問題を見てもらうとわかるのですが、実は、全体の問題数に対する、各領域の出題割合は、ほぼ固定されています。それを知っているので、それにしたがって、また、各領域の関連性も考えて、出題のテーマと順番を決めたのですが、それを決めるにあたり、市販の問題集のページ数との整合性まではみませんでした。というか、市販の問題集の内容に、実際の医師国家試験の出題割合と解離があるなんて、思いもしなかったです。

もちろん、アンケートの回答の中には、
「最初は、問題集の問題数とのずれに不満を持っていたのですが、実際の国家試験をみると、その出題数と、今回の毎回のテストは、整合性がとられていて、実は、体系的にまとまったものであったと感じています。」
と、よくわかってくれている学生がいましたけれど。

テストなんて、どんなテストをしても、それを受ける学生から喝采を受けるようなことはありえないとも思いますから、まあ、このぐらいの支持度があれば、大きな問題はないと判断すべきかなと思います。もし、100%の学生が全員賛成、というのは、かえって全体主義的、統制的で、怖い気がします。Universityですからね。大学は。
(今回のテストなどは、academicと言う言葉からはかなり遠いような気がしていますがね。笑)だから、6年生の国家試験対策の前までは、しっかりと、academicに、それぞれの多様な価値観を尊重した教育カリキュラムができればなあって、思っています。

もちろん、今回のテストでも、その他にも、いろいろ、問題点もわかってきましたので、常にカリキュラムを見直して、来年もたくさんの学生がきちんと医師国家試験を突破できるようにと思っています。
とりあえず、今の6年生たち、がんばれ。

「実習に空き時間が多くて、QBをしっかり読んでいます」

数年前から、6年生の医師国家試験の対策支援の仕事もさせてもらっています。彼らが、みんなピカピカの研修医になって、それぞれの病院で活躍できるようにすることは、大学の使命だと位置づけてのことです。
自分としては、実は、国家試験対策のようなことは好きではありません。でも、6年生の後半の医師国家試験突破のために重要な時期に彼らにしっかりと関わることができるのは喜びです。また、この時期をしっかりと運営することにより、逆に、6年生の前半や5年生の臨床実習クリニカルクラークシップがより充実することになるのではないかと、このようにも考えてやってきました。

先日、ある5年生と廊下ですれ違ったときのことです。彼は、さっそうと白衣を着て、実習中のようでした。
「どう?元気にしてる?」これは、よく使うフレーズですが。すると、彼は、こんなことを言いました。

「先生、今、**科の実習の期間なのですが、実習に空き時間が多くて、おかげで、QBをしっかり読めてよかったです」

ムム。それを聞いて残念に思いました。このことを僕に言ってくれた、この学生は、臨床実習の時間中に、国家試験問題集をしっかりと読めて、本当にうれしい、と、このように思っているようです。
そうか、そうなんだ。

「せっかく、空き時間があるのなら、そのとき、しっかりと、患者さんのベッドサイドに行ったり、手術室に行ったりして、どんどん学べばいいじゃないか。空き時間に、問題集を読むなんて、時間がもったいないよ」

て、彼には言っておきました。だって、本当にそうだと思うから。
実習の予定表に空き時間が多いのは、わざとそうしている場合もあります。彼ら学生に自主的に実習に取り組んでもらうための時間です。患者さんのところに行ってもいいし、手術室に行ってもいいし、もちろん、図書館で文献を調べてもいい。やるべきことはたくさんあります。

まあ、彼ら医学生のほうも、いろいろ、先のことを考えると心配にもなるので、早めに取り組む、ということなのかもしれません。でも、実習時間中は、しっかりと実習に取り組んで欲しいなあ。国家試験対策は6年生で、しっかりとやってもらいますからね。

*もし、基礎学力が不十分なままだから、ということなら、5年生のクリニカルクラークシップに進む資格はないのかもしれません。4年生をもう一度やって、勉強し直してから、患者さんに接することにするのも一案と思っています。医師不足とはいえ、無理することはありませんから。

医師国家試験に技能試験(OSCE)を導入?

今日は、東京で医師国家試験への技能試験(OSCE *4年生の共用試験のOSCEと区別するために、Advanced OSCEと呼ばれることもあります)の導入を検討している、厚生労働省の研究班のシンポジウムが開催されたので、出席してきました。

日本の医師国家試験は、選択問題形式のペーパーテストだけで実施されています。知識だけでなくて、技能や臨床実習の充実度を反映するような工夫はされていますが、どうしても、ペーパーテストなので、限界があると私は感じています。医師としての能力を評価するにはペーパーテストだけではその妥当性に疑問がある、というのは間違いないと思います。
かといって、技能に関して実技試験を導入した場合、その客観性(平等性、再現性)が心配です。医師国家試験と言うのは、究極の総括評価であり、合格しなければ医師免許は付与されず、結果は厳しいですね。ということは、客観性のない、再現性のない評価が実施されると、それで不合格とされてしまう学生は気の毒です。実技の評価者によって、点数が違うようなことでも困りますし、そもそも、学生の回答(実演)が皆同じになるとも思えず。つまり、客観性が心配な訳です。本当に、そこがすごく心配です。
その点、選択式のペーパーテストは、誰が採点しても同じ評価点ですし、客観性という点ではかなり信頼をおくことができます。
「あなたの答案は、合否のボーダーに1点足らなかかったので、不合格です」ということが受け入れられやすい。
*その1点の差に、医師としての能力として、どの程度の意味があるのか、その妥当性については、少し?がつくような気もしますが、誰が採点しても、コンピューターが採点しても、点数は変わらないので。しかし、実技試験では、どんなに客観的な評価項目で構成して、また、熟練した評価者が評価したとしても、1〜2点の評価点の差の存在をなくすことは至難の技と思います。

また、ペーパーテストではない実技試験だけに、その具体的な課題の中身や、試験の実施方法なども十分な検討が必要と、思っています。そのために、この研究班の先生方が精力的に活動を展開されているのだと理解していますが。

今日、そのシンポジウムに出席して、研究成果を拝見し、実技試験の実施方法についての心配は少し軽減したように思います。課題の中身はまだよくわかりませんので、なんとも言えないのですが。
客観性については、相変わらず、疑念は晴れず。「1点の差では不合格にしない」という運用ならまだ理解できますが、8000人から9000人の医学生が毎年受験する場合、学生全体の点数評価の分布は連続しており、どうしても、どこかの1点差で合否を決めなければならないはずなので。

あと、今日、提案のあった実施時期ですが、6年生の10月頃、とのことでした。
今でも、卒後臨床研修必修化のために、ペーパーテストの医師国家試験が2月に実施されるようになって、6年生のカリキュラムの後半が、国家試験対策のために多大な時間を用意しなければならなくなり、実質的に空洞化していることを残念に思っています。きちんと卒前教育をしたいと、その責任を感じている立場からね。
だから、もし、6年生の10月に実技試験Advanced OSCEが実施されるようになると、そのために9月も明け渡さなければならないかもしれませんね。もちろん、合格のための実技習得への学生の意欲向上は悪いことではないのですが、そもそも、臨床実習Clinical Clerkshipでの内容向上のためにも実技試験を導入するとはいえ、では、10月の実技試験の直前まで臨床実習カリキュラムを設定すると、きっと、学生たちが困るだろうし、残念ながら、十分に対策を練って受験するであろう他の大学の医学生と比べると評価点が低くなることは容易に予想されます。
もちろん、うちの大学の臨床実習は、他大学と比べても、先進的な内容であることは胸を張っていますが。
それに、6年生の9月や8月は、臨床研修病院のマッチングのために試験や面接を受けなければならなくなっていて、6年生たちも多忙な時期でもあります。あまり、タスクを増やすのは、心配ですね。

もし、10月に実技試験を実施するのであれば、2月のペーパーテストの時期を3月や4月など、後ろへずらすとか、改善があるといいなあ。あるいは、実技試験は、6年生に実施するのではなくて、研修医1年目に実施するとかね。アメリカなどのように。
それに、研修医の立場で受験するのであれば、受験料が何万円になるのかわかりませんが、自分の給料の範囲内で負担することも可能です。何万円も、医学生には気の毒かなあって思います。医師国家試験のペーパーテストの受験料もありますからね。

テストで良い点なら名医、ではない

名医、良医の定義は難しく、また、できたとしても、抽象的な概念にとどまらざるを得ないであろうことから、そのことを客観的に評価する基準、評価軸を確立することは、とても難しい。

現状では、日本の医師国家試験は、ペーパーテストで実施されています。マークシート方式です。
そのためなのか、テストで良い点をとれば名医だと思ってしまう風潮がありますが、全く違うと思います。その、良医や名医の定義が難しいのですが。

医師国家試験は、よい点を取るように努力するは当然ですが、試験を実施する側の考え方は、「最低限の医学知識や理解がない、と判定される医学生を抽出するため」に実施されていると思います。
つまり、医師免許付与対象者となる合格者を見つけるために実施されているようですが、実は、医師免許を与えてはいけない医学生を見つけるために実施されていると考えるとわかりやすい。

これは、医療判断学における「感度Sensitivity」の考え方に近い。
「CRPが陰性なら肺炎ではない」という使い方です。
つまり、
「医師国家試験が悪い点なら医師ではない」ということです。それしか言えません。(この対偶は、「医師は、医師国家試験は悪い点ではない」となります。これは真)

感度が有用だということは、逆に、名医という判断基準としての「特異度Specificity」はあまりないということになるかもしれません。つまり、「CRPが高ければ肺炎である」というのが成立しないように、「医師国家試験でいい点であれば、名医である」、とは言えない。CRPは感度はいいのですが、特異度は低いので、CRP陽性だけでは、髄膜炎でも、腎盂腎炎でも、あるいは、悪性腫瘍なのかもしれないのです。医師国家試験もかなり感度はよさそうですが、名医特異度の評価方法としてはおぼつかない。

つまり、「医師国家試験がよい点であっても、それだけでは、良医かもしれないし、そうでないかもしれない。」ということです。

では、どうすればいいのか。
さきほどのCRPで考えてみると、CRPが高い患者さんを見つけた場合、CRP高値というデータは、炎症部位についての情報は与えてくれないので、さらに、別の検査を実施して、その炎症部位を絞り込むための追加情報を求めて、推定していきます。もう一度、お話を聞かせてもらったり、診察をやり直したり、また、画像検査をしたり、別の血液検査や尿検査、細菌培養検査などを追加したりしてね。

同様に、医師国家試験が合格したとしたら、次には、良医・名医かどうかを判定するためには、医師国家試験の点数とは、全く別の評価軸での判断が必要だろうと思います。当然ですね。

医学部に来るような学生は、ペーパーテストで評価される受験戦争の勝者でもあると思いますが、だから、ペーパーテストの点が良い学生はいい学生、って考えが生まれてしまいがちですが、全く、危険な考え方です。しかし、世の中の多くの方も、そのような固定観念に振り回されている。患者さんも含め、行政も、政治家も、マスコミも。

もちろん、予定されている評価(テスト)に対して、与えられた期間の間に、きちんと努力をして、求められる以上の成果を出すことができる、という意味では、すぐれた問題解決能力を持っているとも言えるかもしれませんから、良い点をとることを否定しているのではありません。
形成的評価の観点からは、いつまでも、同じような箇所で間違いを繰り返すような医学生は、医師としての能力は高くないと考えることができるかもしれません。

ところで、これは、テストの点は悪くてもよい、と言っているのでもありません。よい点であるにこしたことはありません。
前に、医学部のテストも、他学部と同様、100点満点のテストなら、60点が合否ラインであることが多い、と聞いた患者さんが、「それはおかしい。患者からみれば、自分を担当する医師は、100点満点であって欲しい」って、言われたことを思い出します。

そもそも、60点という数字は根拠は乏しい。広く使われていますが。
もちろん、医師国家試験の合否ラインも60点で固定されているような運用はされていません。毎年、合否ラインは変更されています。

ペーパーテストで最低限の合格ラインを突破するのは当然、よい点をめざすのも当然です。それは、患者さんや社会が求めていることでもあります。しかし、さらに、必要とされる別の能力を磨いていかねばなりません。もちろん、それは、ペーパーテストの点数には反映されにくいものです。
膿尿の存在は、お話を聞いたり、尿をみないとわからず、最初のCRPの値をどんなに眺めてもわからないのです。

試験問題の評価の難しさ

PBL-tutorial教育でアチーブメントテストとして、ペーパーテストを積極的に実施しています。
PBL-tutorial教育は、もともと、事前に課題を提示し、小グループでの討論と、それを見守るTutorと呼ばれる教員により、学生たちの内発的な学習行動を引き出して、個々の学生の学習行動の変容を促すとともに、具体的な学習成果も期待される、ということですが、欧米の医学部で積極的に導入されて、我が国でも幅広く実施されるようになった教育方法です。

教育カリキュラムですから、評価をしなければならないわけですが、そこが大変微妙なニュアンスを持っていると思っています。うちの大学では、教員からの日常の学習行動の評価を中心にして、PBL-tutorial教育の成績としています。テストの成績は、あくまでも補助的なものとして位置づけています。
しかし、テストというものがもつ、客観性(信頼性)は捨て難いものであり、テストをうまく工夫して利用することで、PBL-tutorial教育や学生たちの成長につながらないかと模索してきました。

教育カリキュラムの目的と内容からは、妥当性のある評価対象としては、学生たちの学習行動変容と具体的な学習成果を評価することとなります。ただ、同じPBL-tutorial教育といっても、その目的が学習行動変容を重視している場合と、具体的な学習成果を求める場合があり、大学によっては、1年生を中心に実施しているところや、うちの大学のように3年生から4年生にかけて実施している大学など、多様性に富んでいます。そして、そのカリキュラムの実施方法も、学生に提示される課題の内容も、異なって来ていますし、評価方法も考え方も違って来ています。ということから、大学によっては、PBL-tutorial教育では、ペーパーテストをしない、という大学もあったりします。それはおそらく、学生の学習行動の変容を目的としていることから、ペーパーテストの実施による悪影響を考えてのことかとも思っています。

ペーパーテストでの評価は、認知面での評価が中心となりやすいのですが、特に、具体的な知識についての記憶(想起)については、最も客観性(信頼性)を持って評価できる方法と考えられます。さらに、出題方法を工夫することにより、同等の客観性をもって、解釈能力や問題解決能力を評価することができると考えられています。
ということから、ペーパーテストによる評価の実施が、かえって、PBl-tutorial教育やそれを受けている学生に悪影響をもたらす可能性がある、ということが考えられるわけです。
以下のような例をあげてみます。
課題をもとに問題解決能力、学習能力を育成することが目的であるのに、具体的な学習項目の想起能力だけを評価するような試験を実施し、そのような試験による評価結果を、この教育カリキュラムの評価として重みを大きくすると、教育の目的と評価方法との解離が大きすぎて、学生たちの具体的な学習行動に改善がもたらされず、結局、学生たちは、試験直前の「一夜漬け」に走ってしまうようなことになりかねない。しかも、テストで80%が落ちる、なんてことになれば、もう、PBL-tutorial教育ではなくなってしまう危険すらあります。学生は、もう、課題をもとに、真摯に学習を展開しないかもしれません。これでは「PBL-tutorial教育の崩壊」となります。
これは、「評価方法で学習行動が変容する」ということの証明ともいえますが。

つまり、評価方法の内容と、その利用方法をしっかりとしないと、かえって、教育効果をスポイルしてしまう、ということになる危険があるのですね。

アチーブメントテストで出題される問題には、工夫をしています。
課題症例をもとに学習を展開する上で、必ず会得することになるであろう単純知識については、想起方式での出題を積極的に行っています。PBL-tutorial教育では、個々の学生の学習方向は、かなり多様性に富んでいると考えられますが、課題症例を、具体的な患者症例を用いることにより、臨床上の問題解決のプロセスをトレースすることになりますし、また、グループでの討論やTutorの存在により、ある程度の方向づけをする効果を期待しています。
基礎知識の想起問題は、場合によっては、無回答や誤回答の場合には減点されてしまう「地雷問題」として出題し、必須の基礎知識であることを明示しています。もちろん、減点目的の問題は多くならないように、出題の調整をしています。
ということから、もし、適切に学習を展開しなかった学生がいた場合には、試験会場で、このような知識が重要だとということに改めて気付いて、その後の学習方法を改善するかもしれないと期待しています。試験の形成的評価、の効果を期待しています「あ、あのこと、勉強していなかったなあ、勉強しておけば良かったなあ」って、感じてもらうために。そのために、テスト答案も採点後、返却しています。

問題は、想起レベル、解釈レベル、問題解決レベルの種別にわけて出題し、それぞれを別個に集計して、個々の学生自身にも提示しています。患者さんの症状や所見、血液検査データ、心電図、CT画像や病理組織画像の提示なども積極的に行い、解釈能力の評価が信頼性をもってできるように、と工夫しているのです。
結果、「あなたは想起の問題はよい点だが、解釈の点はよくない」などと提示することで、学生たちに深い理解が必要なのだと気付かせたいと考えています。そして、「病理がわかっていない」、「画像診断能力を高めたい」と学生が自己評価、今後の学習目標の方向付けが容易になるようにと、期待しています。これも、形成的評価の効果ともいえます。

実は、解釈や問題解決能力の評価のためには、カリキュラムで使用した課題症例からの出題だけでは、たとえ、レントゲン写真の解釈や、治療法を問うような出題をして、問題の形式としては、「解釈」「問題解決能力」を評価しているようであっても、実は、単純な暗記力「想起」レベルの問題になってしまう可能性があります。
というのは、事前に課題症例を暗記しておけばよいわけですから、解釈能力、問題解決能力を適切に評価することにつながらない危険があります。医学部医学科に入学するような学生の中には、すさまじい記憶力の学生もいまして、課題症例を丸暗記、なんて学生が実在するのです。もちろん、記憶力も大事ですが、記憶した知識をきちんと利用して、新たな問題解決ができる、という能力を育成したいと考えていますので、知識の有効利用ができるかどうか、を、形成的に評価することで、その能力の育成につながれば、と思っているわけです。
そこで、課題症例での知識を必要とするけれども、別の症例を出題することにより、適切に「解釈」「問題解決能力」の評価になるようにしています。なかなか、難しいのですが。

何年も試験問題を構成する中で、さらに工夫を重ね、問題の種別、それによる評価軸の区分を増やしてきました。通常なら、認知面は、想起、解釈、問題解決、の3つのレベルになりますが、想起レベルをその知識の理解の深さで、2つのレベルにわけています。簡単にいえば、単純に思い出せるかどうか、と、思い出した知識をもとに知恵を展開できるかどうか、です。
そして、認知面だけでなくて、記述問題の回答をもとに論理性を評価する「論理性」という評価軸を加え、さらに、さきほど例をあげた、学習行動の成果としての知識量を達成度別(学習深度別)に出題することで、「PBL学習能力」という評価軸も作ってています。計6項目で、学生のテストの採点、評価を行っています。

実際、テストの成績が不十分であると、もういちど勉強してもらわなければなりませんが、そういう学生は3割以下です。通常1−2割程度。
逆に、もし、8割もの学生が点が伸びない場合は、そのテストが不適切だったか、あるいは、課題症例やtutorも含めてPBL-tutorial教育そのものが学習効果がなかったのかもしれないと考えねばならないでしょう。

こうやって、各学生の評価を1ヶ月ごとに繰り返していくと、やはり、個々の学生の個性が見えてきます。想起の点はいいが、論理性はうまくない、あるいは、学習能力はあまりよくない、という特質や、解釈が点が伸びない、というような感じですね。
そして、一番、気持ちがいいのは、当初、学習能力の点がよくなかった学生が、形成的なテストを繰り返していくと、次第に、解釈能力や学習能力の評価軸の点が改善していく学生が出て来たときです。こうやって複雑な評価方法を行っている効果があったとうれしく思うのです。

PBL-tutorial教育において、学生の学習行動の改善を引き出すために、ペーパーテストが有効に機能すればって、祈るような気持ちです。いろいろ、試行錯誤を繰り返しながら、次第に固まった形で試験を構成することができるようになってきました。

ちなみに、医師国家試験の模擬試験の成績と、さきほどの6項目の評価軸との相関は、やはり、浅い単純想起レベルが一番相関が高く、それと同じぐらいで学習能力でした。相関係数は0.6ぐらいあります。いずれも、基礎的な知識についての評価でもあるので、当然かもしれません。深い想起、解釈、論理性がその次につづき、0.45ぐらいです。問題解決能力は相関係数が0.3ぐらいになります。いろいろ、工夫はされているのですが、医師国家試験というテストがそういう性格なのだ、ということでしょうか。
実は、学生たちを継続的にみることができる立場にいるので、6年生が、5年生、4年生、3年生のとき、どうだったのか、を後ろ向きコホートできるのですが、医師国家試験の模擬テストの点数という切り口でみてみると、実は、あまり年次的変化はないのです。時間経過よりも、問題の種別による相違の方が大きいのです。つまり、6年生の医師国家試験の模擬テストでよい点をマークする学生というのは、3年生や4年生のときから、そういう特性を持った学生であって、ということですね。これは、我々がやっている医学教育が不適切だから、とは結論づけたくないので(笑)、医師国家試験というテストがそういう性格なのだ、ということになってしまうのかもしれません。

実際に医師国家試験の問題をみていて、医学生の能力のどの部分を評価しているのか、と考えると、医学教育担当の教員としては、やや残念な部分もあります。
究極の総括評価としての医師国家試験は、厳密な客観性が求められるので、その前には、妥当性がやや劣ってしまうのはしかたないのでしょうか。(妥当性があるのかどうか、ということについても、個々の教員の信念になってしまうかもしれませんが)
医師国家試験合格は、医学教育の最低限の目標であり、もっと高い目標をめざしていきたいと思っています。無視すればよいというのでは、目の前の学生たちがかわいそうです。(当然、医師国家試験合格率は100%でないといけません)
がんばるのは一義的には学生自身だけれど、教員としても、がんばっていきましょう。

6年生が4年生のときのチュトリアルのテスト問題を勉強していた

6年生たち、真剣に勉強しています。頼もしく思っています。
実際、試験の採点結果を継続的にみてみますと、クラス全体でみても、中央の集団がググッと、集団のままで成績をあげているのがよくわかります。とりあえず、国家試験突破して医師にならないと、名医にはなれないからね。とりあえず、がんばれ。

うちの大学には、チュトリアル室が全部で27部屋ぐらいあるのではないかと思いますが、原則として、自習などのために解放しています。医学部の秋から冬は勉強の季節です。なので、休日の夜の今日も、6年生を中心に、5年生、4年生、3年生などが各部屋にいまして、それぞれ、勉強に励んでいました。すごいね。

ある部屋の6年生が、国家試験の勉強をしている様子をみていたら、彼らが数年前の4年生のときに受けていた、PBL-tutorial教育でのアチーブメントテストを見直していました。
「すごいね、よく、こんなもの、残して持っているね」と、びっくりしたので、声をかけてみました。
「勉強になるので、見直しています」とのこと。そうなんだ。

うちのPBL-tutorial教育は、4年生、3年生で行われていますが、試験もあります。月に一回程度の頻度です。その試験に、いろいろ工夫をしていることは、ときどき書いています。要は、病態メカニズムを理解するために必要な解剖学、生理学の知識を、有機的に結合して理解してもらいたいと思って、出題されています。
また、国家試験も、一般問題という問題は、解剖学や生理学などの基本的な知識が問われますので、6年生にとって、うちのPBL-tutorial教育のアチーブメントテストを見直すことが、国家試験の一般問題対策にもなる、ということでしょうか。テストが形成的な評価としての学習効果があるように、採点したテストを各自に返却しています。なので、あとで見直す、なんて作業が可能になっています。
実際の学生たちの学習行動の様子から、こちらの考えも具現化していることが確認できて、なんだか、うれしくなりました。
でも、一番大事なことは、そのように勉強することで、医学知識の理解が深まることなので、そうなるようにと、祈るような気持ちです。

また、別の部屋では、4年生が講師役になって、下級生たちが病理学の勉強会をしていました。うちの大学では、病理学の総論の試験を受ける学生は、チュトリアル教育に進む前の学生なので、なかなか、病理学という学問自体、うまく受けとめられない学生もいるような気がします。というのは、講師役の4年生が、「病理学が難しいといったって、3年生になってチュトリアルを受けていけば、病理学の授業で、先生が強調していることなんて、当然の、あたりまえの常識って感じだよ。」だって。頼もしいなあ。
うちのPBL-tutorialでは、病態メカニズムの理解、臨床推論能力の育成を最大の柱にしていますので、つまりは、病理学の知識の理解そのもの、ということになるのだと思っています。病理学の各論は、PBL-tutorialで学んで行くように工夫を続けています。各論を学べば、総論はわかるからね。retrospectiveに。
そのことを学生自身が感じていることを、この部屋で実感できて、また、うれしくなりました。

さらに、別の部屋では、9月からチュトリアルに進んだばかりの3年生が一生懸命に本を読んでいました。
「お、がんばっているね。日曜日の夜なのに」
「チュトリアルで、グループのみんなが凄く勉強してくるので、自分もがんばらねばと思って、がんばっているところです」
「すごいね。でも、あせらなくてもいいからね。マイペースに、しかも、勉強を楽しむようにしてね」と、声をかけておきました。強迫観念みたいになっては気の毒なのでね。そもそも、学問を追究することを楽しめたらいいなと、思っています。苦しみになってはいけません。彼らは、元々勉強は嫌いではないと信じています。だって、この大学に入学してくれたのだもの。だから、強制しなくても、内発的に学習をすると信じています。
今、彼らは「血液ユニット」で、課題症例は、再生不良性貧血の患者さんですが、彼が一生懸命に読んでいたのは、球状赤血球症のページでした。
「おや、違う病気まで勉強しているのね。すごいじゃん。」
「ええ、鑑別診断にあがってくる病気は押さえておこうと思いまして」
チュトリアルでとりあげる課題症例は、その分野の代表的な疾患の患者さんで、しかも、それを学ぶことで、その分野の基礎知識がうまく構築されるような疾患を選んでいます。なので、血液ユニットでは、再生不良性貧血をその1つに選んでいるわけですが、貧血には、他にも、溶血性貧血やあるいは鉄欠乏性貧血、悪性貧血などもありますし、再生不良性貧血の鑑別診断には、白血病などの悪性疾患や膠原病などの自己免疫疾患も入ってくるので、なかなか、幅広く勉強しなければならないようになっています。でも、これらの勉強を楽しみながらやってもらえるようになればって、思いながら、彼らの様子をみています。

数年前までかけて、3年生から6年生までの医学教育カリキュラムが、それぞれの相関をもって、戦略的に構築されるように教育改革が行われてきました。ほぼ、枠組みとしては完成形に誓いかなと思っています。あとは、熟成を重ねて行かねば、という感じです。
今晩、医学生たちの様子をみながら、学生自身が自分の成長を実感できるカリキュラムであれば、自然と勉強して行くことになるのだろうなあと、思いました。もちろん、教育は「手抜き」はできないのですが。
今晩、僕が出会った学生たちは、まあ、日曜日の夜に大学に来て勉強しているような学生だから、もともと、平均以上の優等生たちなのかもしれませんが。

教科書を書き換える仕事と、医師国家試験勉強

今年度から、6年生たちのカリキュラムを変更して、彼ら全員が2月の医師国家試験に合格できることを最低限の目標としています。
大小、全部で、25回のテストを計画しています。13週間3ヶ月ぐらいの期間です。彼らも大変な時期だと思いますが、がんばってくれています。こちら側からみれば、それは自分のことですから、がんばるのは当然と思いますが、個性的な本人たちの側からみれば、悩んだり、苦しんだりするのが当たり前かなあ。人間だものね。

2年ぐらいの準備期間をおいて、戦略的に始めたので、想定通り、というか、想定以上のムードになって、彼らが皆4月に医師となることを確信できるまでになってきました。(まだ、心配な方もいますが。まあ、親と同様、心配の種はなくならないのでしょう)

テストの準備や彼らの答案の採点をしながら、いろいろ考えさせられています。
医学部は大学、サイエンスの場ですね。医師国家試験のための予備校ではないはず。もちろん、医師にはサイエンスを理解し、それをツールとして、生身の患者さんの病苦に立ち向かって行くのですから、医師になるためにはサイエンスは必要。そのために、医師国家試験も学術的な、科学的な出題がなされています。
しかし、医師国家試験は、究極の総括試験で、医師という資格があるかどうかの最大の判定基準として使われています(厚生労働大臣は、医師国家試験合格者の中から、医師免許付与者つまり医師を決めます。試験に受かりさえすれば、自動的に医師、という運用ではありません。法律にも、医師免許がもらえない場合が明記されています。)

医師国家試験がそういう性格の試験であるとすると、その出題基準がかなり厳密になってきます。つまり、広く知れ渡っている知識、その時点ではそれが正しいとされている知識、についての出題となります。「教科書」と位置づけられている基本的で網羅的な医学書の記載内容に準じた出題内容になります。

しかし、医学部で行われている活動には、教育の他に、研究、診療がありますが、特に、研究はサイエンスの最先端の活動と思います。研究というのは、簡単にいえば、教科書に書いていないことを発見すること、および、教科書に書いてあることを書き換えるようなこと、を目的とすること、とも定義づけられるように思います。
これらのサイエンスのフロンティアの仕事は、本来、ダイナミックで、しかも、刺激に満ちていて、知的好奇心が多いにわき起こる領域の仕事です。
そういう視点から、学問の追求が始まって、シームレスに研究に入って行くというのが、大学という場なのかもしれないなと、思うのです。(意外と、サイエンスのフロンティアはすぐそばにあります。わかっていることに比べれば、わかっていないこと、研究されていないことの方が格段に多いのですね。否、1つわかると、それに関して3つぐらい新たなわからないことが生まれるのかも。わからないことは永遠に増えるのかも。)

そういう姿勢で医学の学習をして欲しいなあって、それが感じられるようなカリキュラムを構成して行きたいなあって、願っています。

それらに比べると、教科書に書かれているような内容をきちんと理解して、それらに対する資格試験に備える、という行為は、やや退屈であり、知的好奇心をそそられる場面は多くないかもしれません。というか、教科書や問題集を読んでいて、わきおこる、「これはなぜだ?」という疑問を抑え込むことが求められるかもしれない、とさえ恐れます。これはよくないなあ。

教科書を書き換えるような仕事と、医師国家試験対策勉強とは、相容れないものなのでしょうか。でも、教科書を書き換えるような仕事をするためには、教科書の内容がわかっていないと、だめだろうかね。
現実の社会制度の枠組みの中で、医師という専門職に就くためには、6年間の医学教育の中で半年間程度は、魂を譲り渡す必要があるのかなあ。

「医師国家試験の勉強だけしているとおかしくなってしまいそうです」

2月に予定されている、医師国家試験を受験するために、6年生たち、いよいよ、エンジン全開、という状態になっています。この数ヶ月の彼らの様子をみていますが、かなり急速な成績改善を感じます。すごいな。

「おい、どうかね?」と、声をかけてみれば、大体、「がんばってます!」って笑顔。
いい感じですね。

ただ、数週間前から、こういう学生も出て来たように思います。

「先生、こんなことばっかりしていたら、頭がおかしくなってしまいそうです」

医師国家試験は、3日間連続で、計500問以上の問題を解かねばなりません。そのための準備はかなりの期間と努力を要求します。うちの学生たちは、もともと、優秀な方ばかりが入学してくれていますが、それでも、半年程度の努力では十分とは言えないものです。(そもそも、6年間の医学教育の集大成、総決算だし、準備は6年間なのかも。もちろん、医学教育、医学部の6年間が医師国家試験のためだけのものでないことは自明です。誤解のないように。)
かなり、改善されて来ていますし、次回もさらに改善が図られるそうですが、それでも、やはり、想起レベルの問題を解く能力が問われる感じです。でも、その想起レベルの知識がなぜ必要なのかと、個別の問題をみていけば、患者さんの問題解決にあたるために必要な知識の有無を問う、という感じで出題されていることがわかるので、自分が学生だったときより、かなり、改善されています。

この試験は、しかし、医師免許に関する結果にもつながりますから、かなりの総括的な性格の強い試験であり、毎回の合否ラインも、8000人の受験生の正規分布に近い山の、延々と続く裾野のどこかで、エイヤっと切り取らねばならないので、試験については、かなりの客観性(再現性)が求められるのも現実です。客観性に乏しい試験をして、その試験の1点差で、「また、来年受けて下さいね」って、言われたら、それは社会問題になるかもしれません。

ということから、今の形態での実施が必然なのかもしれないなと、思っています。半分あきらめの気持ちもあるかも。
だから、学生さんたちが、とりあえず、がんばってくれればと、思って、支援をしています。半年後には、病棟で白衣を着て、医師になっているのですから、今は、がんばってください。
今年からは、9月から12月までの間の、通常なら「卒業試験」の期間に、国家試験への対策となるような、総まとめの試験を毎週2回ずつ実施しています。国家試験の過去問などをもとに作問して、あまりサイエンスとはほど遠い内容の試験問題だったりするのですが、まあ、しかたないかなと割り切って。
メリットは、成績管理も、一括して行っていますので、全学生の経過をほぼリアルタイムに追うことができるのです。なので、心配な徴候があっても、すぐに、具体的な支援に直結できます。しかし、例年の、通常の「卒業試験」は、各講座、診療科別に実施するので、成績が集約されるのにタイムラグがあり、体調不良などになった学生を見つけ出すのが遅くなったりしてしまうことが多かった。

最初、成績が低迷していたけれど、途中から急に改善した学生がいたので、「すごいね、どうしたの?」と、聞いてみたら、「勉強方法をガラッと変えてみたのです。すると、成績が伸びました。国家試験対策のためには、この勉強方法の方がよいみたいです。ありがとうございます」って、言ってくれた。
もし、例年通りのカリキュラムなら、この学生は、国家試験対策が遅れ、不合格になったかもしれませんが、今の成績なら、もう、十分に合格できるだろうという、安心圏に入っています。
いろいろ、悩みながら、テストを続けていますが、こういう学生がいてくれたことを考えれば、今の試験方式、そう、悪くはないかも、と、思い直しました。
(彼が、どんな風に勉強スタイルを変えたのかは、聞きました。また、別途、このブログに書いてみようと思います)

でも、あまりに、無味乾燥なテストが続くので「頭がおかしくなりそう」な学生がいるのも、このテスト方式のせいかもしれない。やはり、かわいそうなので、来年は、少し、サイエンスのエッセンスもあるような問題を少し加えることを提案してみようと思っています。バランスが大事かと思います。

また、こういうことを言ってくれる学生も増えました。
「体調管理が大事なので、ちょっと、ランニングをしています」、「クラブは引退したのですが、ときどき、練習にも参加しています」
体を動かすことは、結果的には脳細胞にもよい影響を与えることと思います。そういう研究論文も多いですよね。気分転換、リラックスも大事ですね。

無理せず、マイペースに、がんばっていきましょう。

「国家試験の一般問題はどうやって勉強すれば?」

今、6年生たちは、2月に予定されている医師国家試験に向けて、多いにがんばっている状況です。そのための支援として、こちらも試験の工夫をしたりしながら、クラス全体のムード作りが大事と考えています。

どんな試験をしているかは、企業秘密(笑)ですが、国家試験の対策になるように、と考えてのことです。
でも、医学教育の中で、国家試験は目標ではなく、あくまでも1つの通過点であり、また、医師としての、様々な評価項目の中で、一部の領域に関する評価だと位置づけています。知識や理解だけでなくて、態度や行動、技能に関する部分が重要だと思うのです。
なので、逆に、成績不振が続く学生が、仮に、いたとすれば、それは、学習能力の問題もあるのかもしれませんし、医学部卒業としての最終的な学力レベルの保証としてさえ、十分ではなく、結果的に、卒業の資格に届かない学生と評価することになります。今のやり方、意外と不真面目な学生には厳しいのではないかと、私は思っています。
(それに、国家試験の合格は無理だろうと思われる学生を卒業させても、本人にも気の毒とも言える。それよりも、もう一年、卒業資格をめざして、一緒にがんばろう、そうすれば、国家試験も一発合格だ、という意味です。本人を苦しめたいのではありません。)
ペーパーテストだけの医師を、世に送り出したいのではありません。これは、このブログを読んでもらえればわかってもらえると思います。誤解のないようにお願いします。

ある6年生が、質問をしてきました。
「私は、臨床問題は、結構いい線いくのですが、一般問題でよい成績をとれません。どうしたらいいでしょうか?」
そうなのです。現在、展開している6年生向けの試験は、自分の得意な部分、苦手な部分を、学生自身が客観的に評価することができるように、出来る限り、工夫をしています。一般問題の成績分布と臨床問題の成績分布を把握できるように試験を実施し、各自にその結果を返しています。彼が、臨床問題はまあまあ、というレベルがどの程度かはわかりませんが、一般問題というのは、簡単にいえば、基礎医学の領域の問題ですが、解剖学や生理学、あるいは、病理学などの、基本的な基礎の部分です。医師国家試験でも、重要な出題範囲です。というのは、基礎医学の知識がなければ、患者さんの様々な臨床の問題にもきちんと対処することができないからです。正確な基礎知識の上に臨床医学の理解があり、また、臨床医学だけに進みがちな学生たちに、基礎医学に向かうベクトルも大事だということも伝えたいと思っています。

しかし、試験結果の分析はまだまだ十分ではありません。どちらかといえば、記述統計的であり、もっと、関連性や予測を含めたアクティブな統計処理の結果を提示するなどの工夫をしたいのですが、まだまだ、基礎的なデータが足りないのです。
6年生の試験の仕事をさせていただくようになって、まだ、3年ほどなので、今までのデータの蓄積が十分ではないのです。でも、今年の6年生と、その試験問題について、かなりの情報が得られると思いますので、来年の6年生は、もっと、しっかりとした情報分析を各自に提供できるだろうと思います。

とにかく、そのせいもあり、また、なんといっても、本人の客観的な自己評価能力のおかげで、先ほどのような質問が学生から出るようになったのだろうと思います。がんばりましょう。

さて、一般問題対策はどうすればいいか、ということですが、一番の王道は、実は、その学生には悪いのですが、6年生では間に合わないです。満点に近い点をとりたかったらね。6年生になってからの付け焼き刃的な対応では、完璧マスターは無理です。もっと、低学年のころから、解剖学や生理学の基礎的な知識や理解を深めながら学習する習慣が必要だからです。特に、臨床医学を学ぶようになったら、逆に、解剖学や生理学の教科書を開くことが多くなるような、そういう勉強法です。
うちの大学では、基礎医学の単位履修が終わってからの、3年生から4年生の1年半ほどの間、PBL-Tutorial教育をとりいれています。ここでは、臨床医学と基礎医学の両方の知識を区別なく理解して行くことを求めています。つまり、臨床医学を学ぶ時点で、基礎医学の知識を確認して行くという、この勉強法を実践するように、学生たちにはしつこく言っています。
評価方法もそれに準じて行うようにしていますので、多くの学生は、チュトリアルに入ると、「チュトリアルで臨床の勉強をするようになってから、解剖や生理の大事さがわかるようになりました」という感想を言ってくれる学生がたくさんいます。

もちろん、本当は、生理学や解剖学を学んでいるときに、そのことを実感して欲しいので、各担当の先生方は、その効果をめざして、授業にも工夫をされています。多くの学生は、解剖学や生理学を楽しんで学んでいることだろうとは思いますが。

ということで、6年生になって、「一般問題(基礎医学)の知識をどうしたらいいだろう」と、悩みたくなかったら、3年生や4年生のうちから、しっかりと学習に取り組んでくれれば、それだけで十分です。みんな、がんばりましょう。

ところで、低学年のとき、こちらが推奨するような、しっかりとそういう学習スタイルを、あまり確立できず、でも、ちゃんと6年生に進級できている場合は、どうしたらいいでしょう。(あなたの大学では、進級判定が甘いから、6年生で困るのだよ、というご指摘はお許しを。留年生を増やしたいのではありませんし。)

私が、その学生に言った答えは、どの学生にも通じるものではありません。実は、3年生のチュトリアルの頃から、今の6年生たちを継続的にみていることもあり、できるだけ、個別対応ができればと思っています。
その学生に私が言ったことは、「君の場合は、とりあえず、まず、いろんな過去問にあたってみて、その中でわからないことがあったら、きちんとノートにまとめながら、知識の整理をしていけばいいだろう」ということでした。ある程度、知識はあるので、そういうやりかたで大丈夫と思われる学生だったので。もっと、基礎知識がない学生には、違うやり方を言うこともあります。

とにかく、今年の6年生は、みんな、国家試験を合格しそうです。そんな予感がします。

今年の6年生の国家試験への取り組み、うまく行っているようだ

今、6年生たちは、2月にある医師国家試験にむけて、毎日、勉強をがんばっています。

うちの大学では、3年前から、6年生たちの医師国家試験への取り組みの状況を把握するために、9月と12月に、模した試験を実施しています。その仕事を担当させてもらっています。今年の6年生に対しても、先日、9月1日に、秋の試験を行いました。
今年の第103回から、新しい形式の問題が出題されることもあり、新作問題も多く組み入れて、また、例年の問題も組み合わせて、全部で100問を超える試験を行いました。
なぜ、例年の問題も使うのかと言えば、去年と一昨年の試験の結果、問題ごとの識別能を算出してあるからです。つまり、よく勉強している学生と、取り組みがいまいちという学生を見分けることに有用な問題のセットをすでに作ってあるのです。(だから、試験問題は回収しています。今年の6年生たちも、先輩たちの過去問がなかったようです)

今、その結果の分析をしていますが、概況がわかってきました。
それによると、今年の6年生たちは、かなり、しっかりと医師国家試験への取り組みができている学生が多いことがわかりました。これは、識別能がよい問題セットの正答率から判定できます。また、新傾向問題に対する、新作問題への取り組みもよくできていました。(例の、アニオンギャップの計算問題、正答率は68%でした。その他にも計算問題を出してみました。)先日、各自にも試験の採点結果を返しました。エールをこめて。
この調子でいけば、今年の合格率はかなりよさそうです。医師国家試験合格率100%をめざしています。

もちろん、一部には、まだ、エンジンがかかってないと思われる学生がいるのもわかりましたので、これらの学生たちにも、その状況がわかるように結果を、個人個人に返しました。また、彼らにも大学の先生方が定期的にコンタクトをとりながら、学習の様子をみてもらう予定です。

もちろん、医師国家試験突破は、うちの大学の卒前医学教育の最低限の目標です。このブログの他のページを読んでいただければ、そのことはわかっていただけると思っています。もっともっと高い目標を掲げて、医学教育の実践をしていますので、誤解なきようにお願いします。

卒後臨床研修のマッチングの中間発表がありました。中間発表なのに、第一志望で選んでくれる6年生が増えていましたので、すごくうれしい。もっと、増えるといいな。一緒に研修する仲間が大事だからね。気心のしれた、よい仲間と一緒に研修をすると、よりよい成長ができると思います。
(全然、知らない所、しかも、猛烈に切磋琢磨している現場、に身を投じてみるのも、すごい経験だとは思いますけれど)

最近、6年生たちを学内でよくみかける

夏休み中ですが、6年生たちを学内でよくみかけます。1年生から6年生の中で、6年生が一番、大学構内にいるようです。他の学年は、みんな、やっぱり、夏休みだよね。

なぜ、この夏真っ盛りに、大学構内にいるのかといえば、やはり、来年2月に受験する予定の医師国家試験の対策勉強をしているからでしょう。まさか、他に行く所がないから、なんてことはないでしょうからね。行きたいところ、やりたいこと、いっぱいあるはずだから。
また、マッチング病院の面接や試験なども、順次行われていて、そのための書類の準備や対策のために、学内にいるのかもしれません。結構、同級生同士で、情報交換もしているようです。今、彼らの中で、一番ホットな話題に違いありません。
本学では、基本的に、夏休みも、チュトリアル室などを自習のために解放しています。学習能率もあがることを期待しています。

まあ、せっかくの熱い夏ですので、息抜きも大事だし、うまく、時間をやりくりして、北京オリンピックも観戦してください。

日本医学教育学会に出席中:運動系クラブと医師国家試験

今日から、東京で開催されている、日本医学教育学会大会に出席しています。
毎年、7月のこの時期の土日に開かれるので、「暑い」学会としてのイメージが定着しています。建物の中では、さらに「熱い」討論も。

面白い発表がありました。

「運動系クラブ活動と国家試験合格率」

興味を引くテーマです。
なお、私の個人的な感触では、運動系クラブに所属している学生は、卒前のある時期、4年生ぐらいまでは、試験成績や学校への出席率などは、クラスの平均的なレベルより、のんびりしている学生もいるようにも思いますが、5年生、6年生と進級するにつれて、真剣に勉強するようになり、国家試験のあたりでは、試験点数は、クラスのトップレベルになっている、という例がいくらでもあります。
クラブへの参加率も、高学年では低くなるだろうし、また、本人にも、「そろそろ、勉強しなくては」という感覚が生まれてくるのだろうと思います。
もちろん、3−4年生でのトップクラスの学生にも、クラブも一生懸命にやっていて、日焼けした真っ黒な顔をしている学生もいますので、なかなか、一筋縄、ステレオタイプに決めつけられないように思っています。
それよりも、クラブごとのカラーというのはあるかもしれない、と、思っていますが。

この発表の先生方の内容も、「体育会系クラブ活動が、少なくとも、医師国家試験の合否に悪い影響を与えているとは言い難かった」というあたりのようです。調査人数は多くないので(もともと、医師国家試験の不合格者の数って少ないので、統計処理に向かない)
でも、クラブをいっぱいやっている学生さんたち、この結果、よかったね。まあ、当然かなと、思っています。医学部の運動系クラブは、4年生の夏の大会のが終わると、引退しています。医師国家試験は、6年生の2月ですから。
もし、医師国家試験が、4年生の10月あたりにあるとすれば、少し、悪影響もあるかもしれませんが。

そもそも、この大学の先生方が、このようなアプローチをしてみたのは、「うちの大学は、歴代、医学生の体育大会で好成績を修めているが、医師国家試験の合格率は、あまり上位ではないので」ということが始まりだったようです。私は、大学別の医師国家試験合格率って、何を評価しているのか、よくわからないなあ、って、思っていますが、各大学、いろいろ、大変なようで。うちも、がんばりましょう。
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