「医師不足」による「地域医療崩壊」の現状をうけて、この国の対策の重要な柱の1つに、「医学部定員枠増」と「へき地枠」の設定があります。
これについて、入試機会の公平性という観点から、様々なご意見があります。私も、国立大学の医学部に所属する教員として、いろいろ、考えさせられています。
入試は公平性がもっとも重要で最優先されるべき
というのは、憲法のことのように大事なことと思っています。そのことが他の理由よりも優先度が低いということがある社会には、将来の希望はないだろうと思います。実は、このことが日本に確立したのは、戦後の現行憲法よりもずっと前の、「明治維新」のころだそうですね。すごいことと思います。
大学やその設置者の国、と比べれば、受験生という存在はとてもちっぽけな存在であり、受験生が毎日がんばれるのは、「入試の公平性」が保証されているからですよね。そのことを信じてがんばっているのです。
だから、医学部入試は最大限の公平性を優先して実施されています。大丈夫です。
*社会が許さないのは、もし、地域枠、へき地枠の設定が、その大学の定員のほとんどであったり、あるいは、そういう特別な枠の存在が公表されていない場合は、明らかに法律違反と思います。
実際、今回、全国の大学で特別に設定された、へき地枠は、社会の要請に対する「国策」であり、正当に認められた制度です。そして、その枠はどの大学でも、限定的であり、それ以外の普通の公平性ある定員枠は今まで通りに運用されています。だから、「社会通念上認められない不当に不平等な制度であり、しかも、その目的も社会が認められないものである」という主張は、認められないだろうと思います。私は裁判官でもなんでもないですが。
ご理解をいただければと思います。
でも、医師という権限を社会から認定されたプロフェッションは、医学部受験生とは立場が明確に違うと思います。医学部受験生と医師は立場が違います。医師は、きちとんした社会的身分が保障され、患者さんや住民より立場が「強い」と思います(たぶん。笑)
今の地域医療崩壊の構図を、受験生と大学の構図と同様に、あてはめるとこうなります。
そこに居住することが法律違反でもなんでもないところに住んでいるのなら、他の地域と同等の医療サービスの提供が保証されるべき、さらに、きちんと健康保険料も税金も払っているのなら当然の権利でもある。
ということです。これは地域住民にとて、受験生に保証されている公平性と同じですし、しかも、生存に関わることでもあります。基本的人権の尊重として大事なことです。
「医師不足」による地域医療崩壊は、この地域住民の生存権や医療サービス享受の公平性が損なわれているわけです。そして、このことは、医師としてのプロフェッションの個人的な価値観よりも優先されると思うのです。この国ではね。
誤解のないように、何度も繰り返しますが、これは、医学生にはなっていない受験生ではなくて、医師免許を持った医師に対してです。
医師に対しては、この社会が「許容」する範囲内なら、その価値観、行動指針は制限される可能性があります。あくまでも許容範囲ならです。(たとえば、奴隷的な勤労条件を強制されるのは「許容範囲外」だと、それが医師だとしても、と、私は思っています。この国の多くの勤務医の待遇は、労働基準法違反です。違法です。)
だから、もし、その医師への「適法な制限」が嫌なら、自分に与えられた医師という資格・責務を社会に返すべきかもしれません。その適法とされる制限の制定過程には、しっかりと医師たちも主張をしていく必要はありますが。
大事なことは、へき地にいっても、正当な理由があれば、いつでも戻れることや、あるいは、へき地であっても、医師として、正当な報酬や待遇、勤務条件が保証されているのであれば、それは、違法なことではない、と思います。
医学部受験を考えている方は、そのことを理解した上で、医師と言うプロフェションをめざして欲しいと思います。
今、へき地に行くのも自由、いかなくても自由です。いい社会だと思います。
この社会が持続するようにするためには、今、我々医師は、なにをすべきでしょうか、我々の政府は制度をどのように改善すべきでしょうか。
これについて、入試機会の公平性という観点から、様々なご意見があります。私も、国立大学の医学部に所属する教員として、いろいろ、考えさせられています。
入試は公平性がもっとも重要で最優先されるべき
というのは、憲法のことのように大事なことと思っています。そのことが他の理由よりも優先度が低いということがある社会には、将来の希望はないだろうと思います。実は、このことが日本に確立したのは、戦後の現行憲法よりもずっと前の、「明治維新」のころだそうですね。すごいことと思います。
大学やその設置者の国、と比べれば、受験生という存在はとてもちっぽけな存在であり、受験生が毎日がんばれるのは、「入試の公平性」が保証されているからですよね。そのことを信じてがんばっているのです。
だから、医学部入試は最大限の公平性を優先して実施されています。大丈夫です。
*社会が許さないのは、もし、地域枠、へき地枠の設定が、その大学の定員のほとんどであったり、あるいは、そういう特別な枠の存在が公表されていない場合は、明らかに法律違反と思います。
実際、今回、全国の大学で特別に設定された、へき地枠は、社会の要請に対する「国策」であり、正当に認められた制度です。そして、その枠はどの大学でも、限定的であり、それ以外の普通の公平性ある定員枠は今まで通りに運用されています。だから、「社会通念上認められない不当に不平等な制度であり、しかも、その目的も社会が認められないものである」という主張は、認められないだろうと思います。私は裁判官でもなんでもないですが。
ご理解をいただければと思います。
でも、医師という権限を社会から認定されたプロフェッションは、医学部受験生とは立場が明確に違うと思います。医学部受験生と医師は立場が違います。医師は、きちとんした社会的身分が保障され、患者さんや住民より立場が「強い」と思います(たぶん。笑)
今の地域医療崩壊の構図を、受験生と大学の構図と同様に、あてはめるとこうなります。
そこに居住することが法律違反でもなんでもないところに住んでいるのなら、他の地域と同等の医療サービスの提供が保証されるべき、さらに、きちんと健康保険料も税金も払っているのなら当然の権利でもある。
ということです。これは地域住民にとて、受験生に保証されている公平性と同じですし、しかも、生存に関わることでもあります。基本的人権の尊重として大事なことです。
「医師不足」による地域医療崩壊は、この地域住民の生存権や医療サービス享受の公平性が損なわれているわけです。そして、このことは、医師としてのプロフェッションの個人的な価値観よりも優先されると思うのです。この国ではね。
誤解のないように、何度も繰り返しますが、これは、医学生にはなっていない受験生ではなくて、医師免許を持った医師に対してです。
医師に対しては、この社会が「許容」する範囲内なら、その価値観、行動指針は制限される可能性があります。あくまでも許容範囲ならです。(たとえば、奴隷的な勤労条件を強制されるのは「許容範囲外」だと、それが医師だとしても、と、私は思っています。この国の多くの勤務医の待遇は、労働基準法違反です。違法です。)
だから、もし、その医師への「適法な制限」が嫌なら、自分に与えられた医師という資格・責務を社会に返すべきかもしれません。その適法とされる制限の制定過程には、しっかりと医師たちも主張をしていく必要はありますが。
大事なことは、へき地にいっても、正当な理由があれば、いつでも戻れることや、あるいは、へき地であっても、医師として、正当な報酬や待遇、勤務条件が保証されているのであれば、それは、違法なことではない、と思います。
医学部受験を考えている方は、そのことを理解した上で、医師と言うプロフェションをめざして欲しいと思います。
今、へき地に行くのも自由、いかなくても自由です。いい社会だと思います。
この社会が持続するようにするためには、今、我々医師は、なにをすべきでしょうか、我々の政府は制度をどのように改善すべきでしょうか。

